西村道仁(読み)にしむらどうにん

改訂新版 世界大百科事典 「西村道仁」の意味・わかりやすい解説

西村道仁 (にしむらどうにん)
生没年:1504-55(永正1-弘治1)

釜師,西村家の始祖通称国次。名越浄祐の門人といわれる。京都三条釜座(かまんざ)に住し,織田信長の御用釜師として活躍し,天下一称号を与えられた。武野紹鷗の釜師であったという説もあるが定かではない。桃山時代以前の代表的京釜作者である。名越善正との合作も含め,3点の釜が《名物釜所持名寄》にみえ,作風は荒肌で変わった形のものが多い。釜のほかに,梵鐘灯籠擬宝珠などの在銘作品がある。

 西村家は京都三条釜座に栄えた京釜の代表的な釜師の家。道仁にはじまり,九兵衛,弥右衛門らの上手を輩出し,その後は代々道弥(道也,道爺)と号した。西村家2代の道弥(?-1672)のころから千家出入りの釜師となり,代々千家の宗匠好みの釜を作った。原叟宗左時代の釜師道也(道冶)は西村家随一の上手といわれ,《釜師之由緒》《名物釜所持名寄》などの著作がある。
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百科事典マイペディア 「西村道仁」の意味・わかりやすい解説

西村道仁【にしむらどうにん】

室町末〜桃山時代の釜師。京都三条釜座(かまんざ)に住み,通称は国次。武野紹鴎の釜師として活躍,織田信長から〈天下一〉の称号を許された。芦屋釜長所をとり,桃山時代以前の代表的な京釜の作者となる。釜以外に擬宝珠(ぎぼし),灯籠,梵鐘等も作った。
→関連項目茶釜名越善正

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朝日日本歴史人物事典 「西村道仁」の解説

西村道仁

生年生没年不詳
桃山時代の釜師。京都三条釜座に住した。名越浄祐の門人と伝える。天下一の称号を持ち,千利休の釜師である辻与次郎の師として著名である。西村道冶の『釜師之由緒』では利休の師である武野紹鴎(1502~55)時代の人で,織田信長の釜師といい,『茶道筌蹄』では紹鴎の釜師で「桜川」という釜を作ったと記している。このほか「有明」「靨」などの釜を作ったというが現存しない。在銘の作では,文禄2(1593)年銘の山形県羽黒山擬宝珠,慶長10(1605)年銘の京都本国寺梵鐘,同11年銘京都妙蓮寺灯籠,同年山形専称寺梵鐘,同年埼玉福寿院梵鐘が知られている。子または門人に西村九兵衛,弥一郎がおり,弥一郎は代々続いた。<参考文献>香取秀真『新撰茶之湯釜図録』

(原田一敏)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西村道仁」の意味・わかりやすい解説

西村道仁
にしむらどうにん
(1504―1555)

桃山時代の釜師(かまし)。名は国次(くにつぐ)。西村家初代。京都三条釜座(かまんざ)に住した。名越善正(なごしぜんせい)とともに京釜を代表する名工で「天下一」と号し、織田信長の釜師とも、武野紹鴎(たけのじょうおう)の釜師とも伝える。西村家随一の上手といわれた道冶(どうや)の著した『名物釜所持名寄(なよせ)』には善正との合作「猿釜」や「有明釜」「靨(えくぼ)釜」を載せ、また紹鴎好みの桜川釜や、明恵上人(みょうえしょうにん)の茶の十徳釜を修補したというが、釜としては現存する確かなものはなく、擬宝珠(ぎぼし)、梵鐘(ぼんしょう)、灯籠(とうろう)に在銘作が残っている。

[原田一敏]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西村道仁」の意味・わかりやすい解説

西村道仁
にしむらどうにん

室町時代末期~安土桃山時代に活躍した鋳金工。名は国次。京都三条釜座に住んだ。織田信長に仕え,「天下一」の号を許された。武野紹鴎 (じょうおう) の釜師として活躍したとも伝えられる。釜は無文,荒肌で,芦屋釜の長所を取入れて京釜の基礎をつくった。擬宝珠 (ぎぼうしゅ) ,釣灯籠,梵鐘などの作品もある。弟子に辻与次郎がいる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西村道仁」の解説

西村道仁 にしむら-どうにん

?-? 戦国-江戸時代前期の釜(かま)師。
天下一と称する。武野紹鴎(じょうおう)の釜師で,紹鴎好みの釜「さくら川」をつくったという。釜以外に文禄(ぶんろく)2年(1593)銘の山形県羽黒山の擬宝珠(ぎぼし),慶長11年銘の京都妙蓮寺の灯籠(とうろう)などがのこっている。千利休の釜師辻与次郎の師。通称は国次。

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世界大百科事典(旧版)内の西村道仁の言及

【釜座】より

…三条釜座は鐘から鍋,釜までを造ったが,とくに鐘と茶釜の製作にたんのうであり,文明10年(1478)銘の清水寺銅鐘,延徳3年(1491)銘の旧北野社銅鐘,永正14年(1517)銘の知恩院旧鐘は現存する三条釜座製作の鐘である。方広寺の鐘を鋳た名越越前少掾藤原三昌と弟の名越弥五郎,織田信長から〈天下一〉と称された茶釜作りの名人西村道仁らの名工を輩出した。道仁作の擬宝珠は,羽前羽黒山麓までもたらされている。…

【釜師】より

…足利将軍家においては御釜師の名称も用いられたといわれるが,釜の発祥地とされる筑前芦屋や下野(しもつけ)天命では金屋を称しており,いわゆる鍋・釜や梵鐘,釣灯籠なども製作していたが,金屋大工が一般に釜師と称されるようになったのは,京釜が隆盛した安土桃山時代以後のことと考えられる。1700年(元禄13)に西村道冶が著した《釜師之由緒》には〈一,紹鷗時代京都天下一西村道仁,名越善正也。道仁は信長公御釜師…(略)…善正は家康公の御釜師浄味弥右衛門の元祖也〉とある。…

※「西村道仁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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