生没年不詳。桃山時代の鋳物(いもの)師。とくに千利休(せんのりきゅう)の釜(かま)師として著名。近江(おうみ)国栗太(くりた)郡辻村(滋賀県栗東(りっとう)市辻)の出身で、名を実久といい、京都三条釜座(かまんざ)の西村道仁(どうにん)に学んだと伝える。利休好みの阿弥陀(あみだ)堂釜、雲竜釜、四方釜、尻張(しりはり)釜などをつくり、豊臣(とよとみ)秀吉から当代第一の釜師として「天下一」の称号を許された。その釜の特色は「焼抜(やきぬき)」といって鋳上がった釜をふたたび火中に入れ、肌を焼き締め味わい深くする手法や、「羽落(はおち)」と称し羽をわざと落として古作のような雅味を表現する、ともに彼の創始と伝える手法を用いたことである。世に与次郎作といわれる釜は多いが在銘作はなく、そのほとんどは偽物である。釜のほかに天正(てんしょう)18年(1590)作の銅鍔口(わにぐち)(滋賀・兵主(ひょうず)大社)、慶長(けいちょう)5年(1600)作の雲竜文鉄灯籠(とうろう)(京都・豊国(ほうこく)神社)、慶長15年(1610)作の銅梵鐘(ぼんしょう)(秋田・西善寺)など、わずかに在銘の作品がある。
[原田一敏]
桃山時代の釜師。生没年不詳。近江国栗太郡高野庄辻村(現,滋賀県栗東市)に生まれた。幼名実久。後に一旦と号す。西村道仁に釜作を学び,千利休の釜師として活躍した。利休好みの阿弥陀堂釜,雲竜釜,四方釜などを製作し,秀吉から天下一の称号を与えられた。道仁とともに京釜を代表する釜師で,故意に釜の羽を欠いて風情をつける羽落(はおち)や,鋳上がった釜を炭火中で焼き,一皮むいて仕上げる焼抜きの技法は与次郎の創始によるものである。在銘の真作とされる釜は現存しないが,無銘で与次郎作と極められたものは少なくない。釜以外の在銘作品には灯籠,鰐口,銅鐘などがあり,代表作としては慶長5年(1600)銘の京都豊国神社の雲竜文鉄灯籠がある。最後の作と考えられるものに慶長15年銘の秋田西善寺の銅鐘があり,このころまで活躍していたと思われる。弟子に藤右衛門,弥四郎がいる。
執筆者:大角 幸枝
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(原田一敏)
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