現市域中心部、磐田原台地南端の微高地にある。平安末期より遠江国府、鎌倉期より遠江国守護所も置かれた地で、
古代の遠江国府は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
静岡県磐田市(いわたし)の一地区。磐田原台地南縁と今浦(いまのうら)低湿地に挟まれた地区。遠江(とおとうみ)の国府の所在地で、鎌倉時代以来、東海道の宿駅として繁栄。南北朝時代には遠江守護今川範国(のりくに)が本拠地とした。江戸時代、東海道五十三次の宿場町として発展。東海道本線の開通で一時衰退したが、東名高速道路浜松・磐田・袋井各インターチェンジの近接地として急速に工場が進出、住宅地化が著しい。見付北西の一の谷墳墓群は中世墳墓遺跡として注目を集めた。旧見付学校は明治につくられた洋風小学校校舎で、教育資料館となっている(国指定史跡)。また、矢奈比賣神社(やなひめじんじゃ)(見付天神社)の大祭で行われる裸祭は国の重要無形民俗文化財。
[川崎文昭]
東京都、旧江戸城の城門の前の部分をさす。多門、塁壁、枡(ます)形などのこと。「見附」とも表記。江戸城は内外の堀で守られ、見付とよばれた多くの城門が設けられ、その出入りに厳重な監視の目が注がれていた。江戸城三十六見付といわれたが、それは語呂(ごろ)をよくした数合わせで、実態と呼称はあっていない。枡形四十を見付としたとか、一般町人の通行可能な城門のみを見付とよんだなどの説もあるが、それでも実際には36以上あるといわれる。諸説はいろいろだが、見付には、譜代(ふだい)大名や旗本が軍役として昼夜の警備にあたり、その人員や服装まで様式規定は厳重に定められ、また厳守された。現在、呼称としては赤坂見附、四谷見附(よつやみつけ)、市谷見附(いちがやみつけ)が残っているが、大手、内桜田、平河などの城門をはじめ、田安、外桜田、半蔵、和田倉、馬場先、日比谷(ひびや)の内堀、市谷、四谷の外堀に石垣などを残して、門の跡をとどめている。
[菊池万雄]
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