朝日日本歴史人物事典 「見性院」の解説
見性院
生年:弘治3(1557)
安土桃山時代の武家の女性。山内一豊の妻。千代。浅井家家臣若宮喜助友興の娘。父の討死後,美濃(岐阜県)不破重純氏の養女となる。一豊の母に仕えて嫁に見込まれたともいわれる。一豊が,目にとめた名馬を求めたいと望んだ折,夫の大事にと実家から持参した黄金10枚を用立てた。のち馬揃のとき,これが織田信長に認められ,一豊の出世のきっかけになったとの逸話がある。天正13(1585)年に長浜城主夫人となり,のち大坂に居住した。慶長5(1600)年,一豊は徳川家康に従って会津に出陣,千代はそのもとへ石田三成の挙兵を知らせ,自身は人質となれば自決の覚悟なので心置きなく徳川氏に忠誠を尽くすよう助言したという。関ケ原の戦の功績として一豊は土佐一国を与えられたが,翌10年死去。千代は落飾して妙心寺から見性院の法号を受け,翌年京都に戻った。墓所は京都妙心寺大通院。<参考文献>『人物日本の女性史』4巻
(西村圭子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報