デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「見性院」の解説
見性院(3) けんしょういん
元禄(げんろく)16年生まれ。正徳(しょうとく)5年(1715)中御門(なかみかど)天皇につかえ,伊予(いよ)と称する。6年中臈(ちゅうろう)となり,町局(まちのつぼね)とよばれる。聖珊(しょうさん)女王,慈仁入道親王を生む。元文2年(1737)天皇の死去にともない剃髪(ていはつ)し,見性院と号した。明和7年9月10日死去。68歳。
見性院(1) けんしょういん
弘治(こうじ)3年生まれ。山内一豊(かずとよ)の妻。夫の大事のためにと鏡箱から黄金10枚をだして名馬をかいもとめた話で知られる。関ケ原の戦いの直前,徳川家康にしたがって関東に出陣中の夫に的確な情報をおくる。夫の死後出家し,見性院と号した。元和(げんな)3年12月4日死去。61歳。名は千代,まつ。