日本大百科全書(ニッポニカ) 「規制金利」の意味・わかりやすい解説
規制金利
きせいきんり
市場機構以外の作用に影響される金利。市場機構の作用が有効に働くような金利を自由金利というのに対していう。金利を規制することは、どこの国でも信用秩序の維持を目的として政府が行うか、あるいは業界団体の自主規制として行われた。第二次世界大戦後、自由競争を重んじ独占を禁止するという流れのなかで、金利の規制は各国とも総体として後退したが、日本だけは例外で、とくに高度成長期における金利規制が注目される。ここでは、明治から昭和初期の、また終戦直後の金利規制については割愛する。
第二次世界大戦後、高度経済成長を実現するためにとられた低金利政策は、それを支えるため、内外資本の移動を制限し、金利規制を実施したことに注目される。それは、1947年(昭和22)12月に施行された臨時金利調整法によるものであった。この規制の対象はもっぱら預金金利や短期貸出金利で、日本銀行と当時の大蔵省が規制していた。その他の金利も名目的には自由とされていたが、「護送船団方式」とよばれ、行政指導を通じて各銀行の金利が「横並び」となっていた。1970年代初頭以降の日本経済の低成長化に伴う国債の大量発行と経済の国際化により金融の自由化が始まり、金融ビッグバンといわれる金融制度の再編成、さらに通信・情報産業の発達によって他産業や外資が金融に参入してくるようになり、金利規制の意味はなくなり、現状、無利息とされている当座預金を除き、臨時金利調整法による預金金利の規制は行われていない。その意味では臨時金利調整法の必要性はなくなったといえる。しかし、預金保険機構等により保護されている預金等に金融機関が長期的に持続不可能な著しい高金利を付して預金を集めるなどの結果、当該金融機関が破綻(はたん)することになれば、社会経済的コストは甚大になると考えられる。そのため、モラル・ハザード防止の観点から、場合によっては、予防的に金利規制を行う必要があるという意味で臨時金利調整法自体は残すことになっている。実際、臨時金利調整法の枠組みに基づき、日本銀行は2002年(平成14)4月から2005年3月末までの措置として、金融機関が流動性預金に高金利をつけて預金を集めるというモラル・ハザードを防止する観点から、流動性預金金利の上限を設定した。とはいえ、これは量的金融緩和を行っていた時期であり、その意味では「特別な措置」と考えられる。つまり、預金金利の水準は、基本的に各金融機関の主体的な経営判断によるべきであり、規制をするとしても必要最小限にとどめるのは当然といえよう。
[石野 典・前田拓生]