コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

討幕の密勅 とうばくのみっちょく

5件 の用語解説(討幕の密勅の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

討幕の密勅
とうばくのみっちょく

大政奉還の直前に朝廷から薩長両藩にひそかに与えられた討幕挙兵の勅諚。薩摩藩を主力とする倒幕派は,慶応3 (1867) 年に入ると,しきりに討幕挙兵の機会をうかがい,同年9月長州,安芸両藩を加えた同盟を結んだ。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

とうばく‐の‐みっちょく〔タウバク‐〕【討幕の密勅】

慶応3年(1867)10月14日、薩長両藩にひそかに手渡された徳川慶喜追討の勅書。天皇の直筆がないことなどにより偽勅とする説もある。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

防府市歴史用語集の解説

討幕の密勅

1867年(慶応3年)、長州・薩摩両藩が幕府を武力で倒す命令をひそかに朝廷から出させたものです。同じ日に将軍が朝廷に政権を返しました(大政奉還)が、両藩はあくまでも武力で幕府側を倒すべく軍隊を鞠生の松原[まりふのまつばら]に集め、小田港[こだこう]から船で京都にすすめました。

出典|ほうふWeb歴史館
Copyright 2002,Hofu Virtual Site Museum,Japan
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版の解説

とうばくのみっちょく【討幕の密勅】

慶応3年(1867)10月14日、薩長両藩にひそかに手渡された徳川慶喜追討の勅書。形式が異例で、偽勅説もある。同日の大政奉還により密勅の名分は失われた。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

討幕の密勅
とうばくのみっちょく

1867年(慶応3)10月14日、薩長(さっちょう)両藩にひそかに手交された第15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)追討のための勅書。67年、討幕運動が進展するなかで、大久保利通(としみち)や岩倉具視(ともみ)らが画策し、正親町三条実愛(おおぎまちさんじょうさねなる)から大久保と広沢真臣(さねおみ)に手渡され、一つは島津久光父子あて(日付10月13日)、もう一つは毛利敬親(もうりたかちか)父子あて(日付10月14日)となっている。慶喜を「賊臣」とし、形式も異例で、天皇の直筆もなければ、勅旨伝宣の奏者として名を連ねた中山忠能(ただやす)、正親町三条実愛、中御門経之(なかみかどつねゆき)の花押(かおう)もない。偽勅説もあり、学界への原本の公開は昭和に入ってからである。この密勅と同時に、薩長両藩には会津、桑名2藩主の誅戮(ちゅうりく)を命ずる勅書も出された。しかし、同じ日に慶喜は大政を奉還し、密勅の名分は失われた。[田中 彰]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

討幕の密勅の関連キーワード千家尊晴田中松斎竹村鶴叟丹鶴舟森大狂観宗義諦岸誠七卿落王政復古の大号令国乃花

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

討幕の密勅の関連情報