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広沢真臣 ひろさわさねおみ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

広沢真臣
ひろさわさねおみ

[生]天保4(1833).12.29. 長州
[没]明治4(1871).1.8. 東京
幕末,維新期の長州藩士。柏村半右衛門安利の4男。幼名,季之進,のち金吾,藤右衛門と改名。通称は兵助。号は障岳。長州藩の安政の改革に参画し討幕運動に尽力,明治維新後は海陸軍務係,内国事務係,同判事などを歴任して参与となる。

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デジタル大辞泉の解説

ひろさわ‐さねおみ〔ひろさは‐〕【広沢真臣】

[1833~1871]幕末の尊攘派志士。長州藩士。藩の安政改革、また討幕運動を画策。維新後、参議に進んだが暗殺された。

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百科事典マイペディアの解説

広沢真臣【ひろさわさねおみ】

幕末の長州萩藩志士,政治家。通称兵助(へいすけ),金吾,号は障岳。革新派として藩政改革を推進し尊攘運動に参加。守旧派の巻返しで一時失脚したが,のち政務役として1866年の第2次幕長戦争を指導した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

広沢真臣 ひろさわ-さねおみ

1834*-1871 幕末-明治時代の武士,政治家。
天保(てんぽう)4年12月29日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。波多野家の養子。のち広沢と改姓。尊攘(そんじょう)派の中心のひとり。慶応2年第2次幕長戦争では休戦交渉にあたった。維新後民部大輔(たいふ),参議を歴任。版籍奉還などを推進。明治4年1月9日暗殺された。39歳。本姓は柏村。通称は金吾,藤右衛門,兵助。号は障岳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

広沢真臣

没年:明治4.1.9(1871.2.27)
生年:天保4.12.29(1834.2.7)
幕末維新期の志士,政治家。父は長州(萩)藩士柏村安利。弘化1(1844)年波多野家の養子となり,波多野金吾と称す。嘉永6(1853)年のペリー来航に際しては大森台場警備のため関東に出張。安政6(1859)年蔵元本役を命ぜられ,実務官僚として重用されていった。元治1(1864)年7月,長州藩尊攘派が禁門の変を起こして壊滅し,保守派が藩政を握ると野山獄に入れられたが,慶応1(1865)年に高杉晋作ら改革派が保守派を倒して藩政を掌握したことで藩政の中枢に復帰。この年広沢藤右衛門と改名し翌年兵助を名乗る。幕長戦争の際,長州藩を代表して広島に出張し,厳島で幕府方勝海舟と休戦協定を結んだ。翌3年9月,木戸孝允と共に大久保利通と会談,倒幕出兵の盟約を結び,10月出京して倒幕の密勅を受け帰国した。明治1(1868)年1月新政府の参与となり,大久保の大坂遷都論を支持。翌2年1月,版籍奉還の実行を薩摩,土佐の代表と合議し,7月,藩士出身者としては政府最高位の参議となる。同3年7月の民部・大蔵両省を巡る紛議では,大久保を支持して木戸と対立。関心は主として民政にあり,民情を顧みない急激な改革を否とする,着実を好む漸進主義の立場であった。同4年1月私邸で刺客にあい暗殺された。犯人は不明である。藩官僚から政府中枢の官僚政治家へと進んだ典型的人物として注目されるが,まだまとまった研究も伝記もない。

(佐々木克)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ひろさわさねおみ【広沢真臣】

1833‐71(天保4‐明治4)
幕末・維新期の政治家。長州藩士柏村家の四男に生まれ,波多野氏に入り金吾と称し,のち広沢と改姓,藤右衛門,兵助と称した。尊王攘夷運動に参画し,1864年(元治1)の長州征伐時に投獄されたが,のち政務役として66年(慶応2)の幕長戦争を指導した。明治維新後は参与,民部大輔を経て参議に就き,版籍奉還を推進した。木戸孝允とともに長州閥を代表したが,東京麴町の私邸で刺客に暗殺された。【井上 勝生】

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大辞林 第三版の解説

ひろさわさねおみ【広沢真臣】

1833~1871) 幕末・維新期の政治家。長州藩士。安政の藩政改革にあたり、倒幕運動にも参加。新政府では徴士・参与・民部大輔などをつとめ版籍奉還の実現に努力したが、暗殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

広沢真臣
ひろさわさねおみ
(1833―1871)

幕末維新期の長州藩尊攘派(そんじょうは)志士、政治家。藩士柏村安利(かしわむらやすとし)の四男で、同藩士波多野直忠(はたのなおただ)の養子となる。幼名季之進(すえのしん)、のち金吾(きんご)、1865年(慶応1)藩命によって広沢藤右衛門(とうえもん)と改めたが、通称真臣また兵助、号は障岳。兄数馬(かずま)が藩主毛利敬親(もうりたかちか)の世子元徳(もとのり)の側近であったことから世に出る機会を得た。1859年(安政6)の藩政改革に参画したが、1864年(元治1)反対派(俗論党と蔑称(べっしょう))のため一時、萩(はぎ)の野山獄(のやまごく)に投ぜられた。翌1865年、藩勢が一変して、いわゆる正義派が実権をとるや出獄して要路の人となる。1866年(慶応2)、第二次長州征伐の休戦談判が安芸(あき)(広島県)宮島の大願寺で開かれたとき、井上馨(いのうえかおる)らとともに藩の委員となり、幕軍の勝安房(かつあわ)(勝海舟)らと折衝した。のち、討幕運動に加わり、薩摩(さつま)、土佐との連合にも功があった。維新後、参与、民部官副知事、民部大輔(たいふ)、参議と昇進し、木戸孝允(きどたかよし)らとともに藩の版籍奉還を推進したが、1871年(明治4)正月9日、東京麹町(こうじまち)の私邸で暗殺された。犯人は不明。性豪放で時勢をつかみ、信望が深かった。その日記は、新政府の成立過程を知る重要な史料である。[小林 茂]
『村田峰次郎編『参議広沢真臣卿略伝』(1921・故広沢参議五十年祭祭典委員会) ▽大塚武松編『広沢真臣日記』(1931・日本史籍協会) ▽田中彰著『明治維新政治史研究』(1963・青木書店) ▽『廣澤真臣日記』(2001・マツノ書店)』

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