広沢真臣(読み)ヒロサワサネオミ

デジタル大辞泉 「広沢真臣」の意味・読み・例文・類語

ひろさわ‐さねおみ〔ひろさは‐〕【広沢真臣】

[1834~1871]幕末の尊攘派志士。長州藩士。藩の安政改革、また討幕運動を画策。維新後、参議に進んだが暗殺された。

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精選版 日本国語大辞典 「広沢真臣」の意味・読み・例文・類語

ひろさわ‐さねおみ【広沢真臣】

  1. 幕末・維新期の志士。政治家長州藩士。藩の安政改革に参画して討幕運動に加わる。維新後、徴士・海陸軍務掛・民部官副知事・民部大輔などを歴任した。版籍奉還を推進中暗殺された。天保四~明治四年(一八三三‐七一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「広沢真臣」の意味・わかりやすい解説

広沢真臣
ひろさわさねおみ
(1833―1871)

幕末維新期の長州藩尊攘派(そんじょうは)志士、政治家。藩士柏村安利(かしわむらやすとし)の四男で、同藩士波多野直忠(はたのなおただ)の養子となる。幼名季之進(すえのしん)、のち金吾(きんご)、1865年(慶応1)藩命によって広沢藤右衛門(とうえもん)と改めたが、通称真臣また兵助、号は障岳。兄数馬(かずま)が藩主毛利敬親(もうりたかちか)の世子元徳(もとのり)の側近であったことから世に出る機会を得た。1859年(安政6)の藩政改革に参画したが、1864年(元治1)反対派(俗論党と蔑称(べっしょう))のため一時、萩(はぎ)の野山獄(のやまごく)に投ぜられた。翌1865年、藩勢が一変して、いわゆる正義派が実権をとるや出獄して要路の人となる。1866年(慶応2)、第二次長州征伐の休戦談判が安芸(あき)(広島県)宮島の大願寺で開かれたとき、井上馨(いのうえかおる)らとともに藩の委員となり、幕軍の勝安房(かつあわ)(勝海舟)らと折衝した。のち、討幕運動に加わり、薩摩(さつま)、土佐との連合にも功があった。維新後、参与、民部官副知事、民部大輔(たいふ)、参議と昇進し、木戸孝允(きどたかよし)らとともに藩の版籍奉還を推進したが、1871年(明治4)正月9日、東京麹町(こうじまち)の私邸で暗殺された。犯人は不明。性豪放で時勢をつかみ、信望が深かった。その日記は、新政府の成立過程を知る重要な史料である。

小林 茂]

『村田峰次郎編『参議広沢真臣卿略伝』(1921・故広沢参議五十年祭祭典委員会)』『大塚武松編『広沢真臣日記』(1931・日本史籍協会)』『田中彰著『明治維新政治史研究』(1963・青木書店)』『『廣澤真臣日記』(2001・マツノ書店)』


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朝日日本歴史人物事典 「広沢真臣」の解説

広沢真臣

没年:明治4.1.9(1871.2.27)
生年:天保4.12.29(1834.2.7)
幕末維新期の志士,政治家。父は長州(萩)藩士柏村安利。弘化1(1844)年波多野家の養子となり,波多野金吾と称す。嘉永6(1853)年のペリー来航に際しては大森台場警備のため関東に出張。安政6(1859)年蔵元本役を命ぜられ,実務官僚として重用されていった。元治1(1864)年7月,長州藩尊攘派が禁門の変を起こして壊滅し,保守派が藩政を握ると野山獄に入れられたが,慶応1(1865)年に高杉晋作ら改革派が保守派を倒して藩政を掌握したことで藩政の中枢に復帰。この年広沢藤右衛門と改名し翌年兵助を名乗る。幕長戦争の際,長州藩を代表して広島に出張し,厳島で幕府方勝海舟と休戦協定を結んだ。翌3年9月,木戸孝允と共に大久保利通と会談,倒幕出兵の盟約を結び,10月出京して倒幕の密勅を受け帰国した。明治1(1868)年1月新政府の参与となり,大久保の大坂遷都論を支持。翌2年1月,版籍奉還の実行を薩摩,土佐の代表と合議し,7月,藩士出身者としては政府最高位の参議となる。同3年7月の民部・大蔵両省を巡る紛議では,大久保を支持して木戸と対立。関心は主として民政にあり,民情を顧みない急激な改革を否とする,着実を好む漸進主義の立場であった。同4年1月私邸で刺客にあい暗殺された。犯人は不明である。藩官僚から政府中枢の官僚政治家へと進んだ典型的人物として注目されるが,まだまとまった研究も伝記もない。

(佐々木克)

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「広沢真臣」の解説

広沢 真臣
ヒロサワ サネオミ


肩書
参議

別名
通称=兵助 号=障岳

生年月日
天保4年(1833年)

出生地
長門国(山口県)

経歴
文久2年長州藩の渉外関係を主宰、3年の下関外艦砲撃、元治元年の下関戦争に参加し、藩政の重要な地位にいたが、保守派のため同年12月萩の野山獄に投獄された。慶応元年2月出獄、後手当用掛、用所右筆役、用所役などを歴任。対幕府折衝にあたる一方、倒幕運動にも奔走する。維新後、下参与、徴士、軍務掛、内国事務掛、外国人参内掛などを歴任し、民部官副知事、民部大輔から参議にすすむが明治4年1月9日私邸にて暗殺される。

没年月日
明治4年1月9日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

百科事典マイペディア 「広沢真臣」の意味・わかりやすい解説

広沢真臣【ひろさわさねおみ】

幕末の長州萩藩志士,政治家。通称兵助(へいすけ),金吾,号は障岳。革新派として藩政改革を推進し尊攘運動に参加。守旧派の巻返しで一時失脚したが,のち政務役として1866年の第2次幕長戦争を指導した。維新後は参議に進み,木戸孝允とともに維新政府内の長州勢力を代表し版籍奉還を推進。1871年暗殺された。犯人不明。

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改訂新版 世界大百科事典 「広沢真臣」の意味・わかりやすい解説

広沢真臣 (ひろさわさねおみ)
生没年:1833-71(天保4-明治4)

幕末・維新期の政治家。長州藩士柏村家の四男に生まれ,波多野氏に入り金吾と称し,のち広沢と改姓,藤右衛門,兵助と称した。尊王攘夷運動に参画し,1864年(元治1)の長州征伐時に投獄されたが,のち政務役として66年(慶応2)の幕長戦争を指導した。明治維新後は参与,民部大輔を経て参議に就き,版籍奉還を推進した。木戸孝允とともに長州閥を代表したが,東京麴町の私邸で刺客に暗殺された。
執筆者:

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「広沢真臣」の解説

広沢真臣
ひろさわさねおみ

1833.12.29~71.1.9

幕末・維新期の萩藩士,新政府の指導者。長門国萩城下に生まれ,波多野家の養子となる。旧姓柏村。のち広沢と改姓。藩の要職を歴任し,尊王攘夷派に接近。禁門の変に敗れて幕府の追討をうけ,恭順派が藩政を握ると投獄された。倒幕派の勢力回復により出獄し,木戸孝允(たかよし)とともに藩政を指導。1867年(慶応3)大久保利通(としみち)らと倒幕を協議し,討幕の密勅をうけた。翌年新政府の参与,ついで民部大輔・参議に任じられた。69年(明治2)木戸・大久保・後藤象二郎らと版籍奉還の実現に尽力。71年東京の私邸で暗殺され,多くの容疑者が捕らえられたが,証拠に乏しく犯人は不明のままとなった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広沢真臣」の解説

広沢真臣 ひろさわ-さねおみ

1834*-1871 幕末-明治時代の武士,政治家。
天保(てんぽう)4年12月29日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。波多野家の養子。のち広沢と改姓。尊攘(そんじょう)派の中心のひとり。慶応2年第2次幕長戦争では休戦交渉にあたった。維新後民部大輔(たいふ),参議を歴任。版籍奉還などを推進。明治4年1月9日暗殺された。39歳。本姓は柏村。通称は金吾,藤右衛門,兵助。号は障岳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「広沢真臣」の意味・わかりやすい解説

広沢真臣
ひろさわさねおみ

[生]天保4(1833).12.29. 長州
[没]明治4(1871).1.8. 東京
幕末,維新期の長州藩士。柏村半右衛門安利の4男。幼名,季之進,のち金吾,藤右衛門と改名。通称は兵助。号は障岳。長州藩の安政の改革に参画し討幕運動に尽力,明治維新後は海陸軍務係,内国事務係,同判事などを歴任して参与となる。さらに民部官制副知事,民部大輔などを経て参議となり版籍奉還を推進したが,九段坂上の自邸で刺客に暗殺された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「広沢真臣」の解説

広沢真臣
ひろさわさねおみ

1833〜71
幕末・維新期の政治家
長州藩士。藩の安政改革に活動し,尊攘討幕運動に尽力。明治新政府では,参議・民部大輔 (たゆう) などを歴任し,木戸孝允とともに長州を代表して版籍奉還を推進したが,1871年暗殺された。

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