北川冬彦(読み)キタガワフユヒコ

デジタル大辞泉 「北川冬彦」の意味・読み・例文・類語

きたがわ‐ふゆひこ〔きたがは‐〕【北川冬彦】

[1900~1990]詩人・映画評論家。滋賀の生まれ。本名田畔たぐろ忠彦。映画評論で生計を立てるかたわら、雑誌詩と詩論」の創刊参加詩集に「戦争」「三半規管喪失」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北川冬彦」の意味・わかりやすい解説

北川冬彦
きたがわふゆひこ
(1900―1990)

詩人、映画批評家。明治33年6月3日、滋賀県大津市の生まれ。本名田畔(たぐろ)忠彦。東京帝国大学仏法科を卒業、ついで仏文科に学んだが中退。1924年(大正13)中国の大連で安西冬衛(ふゆえ)らと『亜(あ)』を創刊、翌年処女詩集『三半規管喪失』を出した。一方、福富菁児(せいじ)らと『面』を出す。『朱門』『日本詩人』『青空』などを経て、28年(昭和3)9月の『詩と詩論』に参加。この間、短詩運動から新散文詩運動へと、前衛詩運動を精力的に展開、マックス・ジャコブ散文詩集『骰子筒(さいころづつ)』(1929)の翻訳出版、アンドレ・ブルトンの『超現実主義詩論』(1929)の翻訳紹介などをした。新散文詩運動ののちは、シネ・ポエム論や新叙事詩運動などを提唱。しだいに左傾して『詩と詩論』を離れて神原泰(かんばらたい)らと30年『詩・現実』を創刊、別に『時間』『麺麭(パン)』などをおこした。第二次世界大戦中の曲折を経て、戦後もネオ・リアリズム論などで旺盛(おうせい)に活躍。詩集に『戦争』(1929)、『いやらしい神』(1936)など。詩論書、映画評論書も多い。

[安藤靖彦]

『『日本の詩18 北川冬彦他集』(1979・集英社)』『『現代詩鑑賞講座9』(1969・角川書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北川冬彦」の意味・わかりやすい解説

北川冬彦
きたがわふゆひこ

[生]1900.6.3. 大津
[没]1990.4.12. 東京
詩人,映画評論家。第三高等学校を経て 1925年東京大学仏法科卒業,仏文科中退。 24年安西冬衛,滝口武士らと詩誌『亜』を創刊。『三半規管喪失』 (1925) ,『検温器と花』 (26) などでダダイズムの詩風を展開,さらに 28年春山行夫,西脇順三郎,北園克衛らとともに『詩と詩論』を起し,シュルレアリスムの運動を推進した。 30年『詩と詩論』の高踏的な芸術主義を批判して離れ,三好達治らと『詩・現実』を創刊,プロレタリア詩への傾斜を深めて『氷』 (33) ,『いやらしい神』 (36) に一つの頂点を示した。また,短詩運動,新散文詩運動,シネポエム,ネオリアリスムなど次々と詩壇に問題を提起,第2次世界大戦後は現代詩人会の結成に尽力,初代幹事長となるなど,詩壇の興隆と新人の育成に努めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北川冬彦」の解説

北川冬彦 きたがわ-ふゆひこ

1900-1990 大正-昭和時代の詩人。
明治33年6月3日生まれ。大正14年新散文詩集「三半規管喪失」を出版。昭和3年「詩と詩論」創刊に参加し,4年詩集「戦争」で注目される。23年長編叙事詩「氾濫」を発表。25年ネオリアリズムを提唱し第2次「時間」を主宰,現代詩を改革しつづけた。平成2年4月12日死去。89歳。滋賀県出身。東京帝大卒。本名は田畔(たぐろ)忠彦。
【格言など】義眼の中にダイヤモンドを入れて貰ったとて,何になろう(「戦争」)

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