ジッド(読み)じっど

デジタル大辞泉 「ジッド」の意味・読み・例文・類語

ジッド(Gide)

ジード

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精選版 日本国語大辞典 「ジッド」の意味・読み・例文・類語

ジッド

  1. [ 異表記 ] ジード
  2. [ 一 ] ( André Gide アンドレ━ ) フランスの小説家、批評家。少年時代に受けた厳格な清教徒的教育と人間性の自由を求める心の葛藤に苦しみながら、そうした魂の不安を、深い分析、大胆な技法、厳密な形式で描き、心理小説を改革した。二〇世紀前半のフランス文壇に新風を起こした「NRF(エヌエルエフ)」誌の指導者の一人。主な作品に「狭き門」「贋金つくり」など。一九四七年ノーベル文学賞受賞。(一八六九‐一九五一
  3. [ 二 ] ( Charles Gide シャルル━ ) フランスの経済学者。ソルボンヌ大学教授。協同組合論者。労働価値説と限界効用価値説との折衷主義をとる。主著「経済学原論」、シャルル=リストとの共著「経済学説史」など。(一八四七‐一九三二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジッド」の意味・わかりやすい解説

ジッド(André Gide)
じっど
André Gide
(1869―1951)

フランスの作家。11月22日パリに生まれる。父はパリ大学法科教授。11歳のとき父を失い、厳格な母によって清教徒的な教育を受けた。小学校時代は病的な臆病(おくびょう)や自慰の悪癖のため成績は不良で幾度か退学し、学業の習得は不規則であったが、18歳のころピエール・ルイスを知り、彼に刺激されて文学熱が急に目覚めた。1891年、従姉(いとこ)マドレーヌに対する恋愛を中軸として、青春時の霊肉の格闘や精神的不安を描いた『アンドレ・ワルテルの手記』を発表した。のちジッド夫人となったマドレーヌをジッドは一生愛し続けたが、彼女の伝統尊重や清教主義に対する彼の順応と反発が一生を支配し、彼のほとんどの作品に彼女が濃い影を落としている。たとえば、自分の生命を享楽するために愛妻の生命まで犠牲にする『背徳者』(1902)、聖書の教えを守り抜いて自己犠牲のすえ死に至る女性の哀切な物語『狭き門』(1909)は、その代表的なものといえよう。

新庄嘉章

因襲的な順応主義への挑戦

『アンドレ・ワルテルの手記』の発表後、マラルメの門に入って象徴主義の影響を受け、いくつかの短い作品を発表したが、人の注意をひくには至らなかった。1893年、自分に厳しく課していた清教主義的な克己主義が魂の平衡を乱すものとなり、その苦悩から逃れるためにアフリカに旅立った。旅の途中で病気になり、ようやく健康を取り戻したのちは、生命を強烈に享楽するために過去のすべての絆(きずな)を捨てることを決心した。『パリュード』(1895)はそうした生命発見者の焦燥から生まれたものであり、『地の糧(かて)』(1897)はよみがえった生命に対する狂熱的な賛歌である。『背徳者』や『狭き門』によって文壇的地位を確保したジッドは1914年『法王庁の抜穴』を発表し、因襲的な道徳を超越した自由な行為を試みようとして動機のない殺人(いわゆる無償の行為Acte gratuit)をする青年を描いている。これは凡俗なブルジョア社会を風刺した一種の戯画でもある。

 第一次世界大戦中の4か年は、しばらく手放していた福音(ふくいん)書に読みふけった。このことは彼のカトリック教への改宗を熱望する人々に期待をもたせたが、ついに改宗しなかった。それどころか1916年ころから大胆な自己告白の書『一粒の麦もし死なずば』を書き始め、26年にこれを発表して世の良識者を驚かせた。またこのころ『田園交響楽』(1919)を書いたが、これは福音書の自由解釈と厳しい戒律の対立を扱った悲劇である。

[新庄嘉章]

厳しい自己省察

1926年、ジッドは自分のただ一つの小説と称する『贋金(にせがね)つかい』を発表した。彼は自分の小説的作品を彼独特の分類によって、物語(レシ)récit、茶番(ソチ)sotie、小説(ロマン)romanの三つに分けている。物語は厳しい自己省察から生まれるテーマを極限にまで追求した心理解剖的作品で、『背徳者』『狭き門』『田園交響楽』、人間の誠実と偽善を扱った『女の学校』三部作(1929~36)などがそれであり、茶番は知的遊戯の要素が強い風刺的作品で、『パリュード』『法王庁の抜穴』などがそれである。小説は単一のテーマではなく人生のあらゆる問題を扱ったもので、彼はこの作品によって純粋小説roman pureの見本を示そうと試みた。

 1925年ジッドはコンゴに旅立った。この旅行で、フランスの植民政策の犠牲になっている原住民の惨状をみて彼の目は社会問題に大きく開かれ、『コンゴ紀行』(1927)は広く世論を巻き起こした。その後、思想はしだいに左傾し、32年には共産主義への転向を宣言したが、36年に当時のソ連の文化鎖国主義と画一主義を現実に見て、『ソビエト紀行』(1936)でソ連を辛辣(しんらつ)に批判した。ジッドは数編の興味ある戯曲も書いたが傑作といえるものはなく、むしろ文芸批評に多くの優れた作品を書いている。なかでも『ドストエフスキー』(1923)はドストエフスキー研究に新生面を開いた名著である。

 1889年から1949年までの『日記』(1939~50)は、一生を自己に忠実に生き抜こうと努力した彼の厳しい自己省察の記録で、彼の生活と作品の謎(なぞ)を解く重要な鍵(かぎ)である。また彼は20世紀前半のフランス文壇に新風を吹き込んだ『NRF(エヌエルエフ)』誌の指導者として重要な役割も果たした。47年にはノーベル文学賞を与えられ、51年2月19日、栄光に包まれてパリで死んだが、死後刊行された『今や彼女は汝(なんじ)の中にあり』(1951)で愛妻マドレーヌが実は処女妻であった事実を告白し、ジッド愛好者に大きな衝撃を与えた。

[新庄嘉章]

日本への影響

わが国においては、彼の存在は1923年(大正12)以来、上田敏(びん)、竹友藻風永井荷風によって紹介されていたが、23年山内義雄(よしお)の名訳『狭き門』によって一躍有名になった。その後、横光利一野間宏(ひろし)、小林秀雄河上徹太郎、大岡昇平などが少なからぬ関心を示し、一時は大きなジッド旋風を引き起こした。世界的に著名な作家で彼ほど評価のまちまちな人はないが、人間の自由を追求した偉大な個人主義者として20世紀に残した足跡は大きい。

[新庄嘉章]

『新庄嘉章訳『アンドレ・ジイドの日記』全5巻(1950~52・新潮社)』『新庄嘉章著『アンドレ・ジイド』(1948・新樹社)』『中島健蔵著『アンドレ・ジード 生涯と作品』(1951・筑摩書房)』『『河上徹太郎著作集 第5巻』(1982・新潮社)』『新庄嘉章著『天国と地獄の結婚――ジッドとマドレーヌ』(1983・集英社)』


ジッド(Charles Gide)
じっど

ジード

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改訂新版 世界大百科事典 「ジッド」の意味・わかりやすい解説

ジッド
André Gide
生没年:1869-1951

フランスの小説家,批評家,劇作家。南フランス出身の法律学者を父に,北フランスの素封家出の賢婦人を母にもつ彼は,厳格なピューリタンとしてはぐくまれた。そんな彼の生涯のドラマを決したのは,母方の従姉マドレーヌ・ロンドー(後年のジッド夫人)との恋である。この恋愛体験,その後の結婚生活の体験がなんらかの形で影を落としていない作品は皆無といっていい。処女作《アンドレ・ワルテルの手記》(1891)以来,だいたいの作品が,あるときは彼女に象徴されている伝統的諸価値とプロテスタントの道徳規範への順応として,あるときはそれらへの反逆として,またあるときは順応と反逆の激しい相克として構成されている。1893年から幾度も繰り返された彼のアフリカ旅行と同性愛者としての自己確認が,順応と反逆の振子の振幅をますます大きくする。こうしたドラマの諸様態を通常の物語形式にのっとって悲劇的照明の下に描いたのが,彼のいうレシ(物語)であり,《背徳者》(1902),《狭き門》(1909),《田園交響楽》(1919),《女の学校》三部作(1929,30,36)などがそれにあたる。また同質同種のドラマを滑稽風刺譚風に描いたのがソティ(茶番)であって,《パリュード》(1895),《法王庁の抜け穴》(1914)などがそれにあたる。そして,両者の総合として,視点を複数化し,音域をひろげ,構成を重層化して構成されたのが,彼がロマン(小説)と名づける唯一の作品《贋金(にせがね)づくり》(1926)である。ほかに,激情を歌いあげた詩的作品《地の糧(かて)》(1897)や,幾編もの戯曲,《ドストエフスキー論》(1923)のような卓抜な評論,膨大な日記,社会的関心を示す紀行文《コンゴ紀行》(1927),《ソビエト紀行》(1936)などがあり,いずれもが時の大きな話題となった。《NRF(エヌエルエフ)》誌の創始者・指導者としての彼の巨大な影響力は,フランスの国境を越えて,世界全土にひろがったのである。1945年までの日本もその例外ではなかった。

 ジッドを日本に初めて紹介したのは上田敏であるが,広く知られるようになったのは1923年に山内義雄による《狭き門》の完訳が出版されてからである。以後,小林秀雄,河上徹太郎,横光利一,野間宏らが深い関心を寄せた。
純粋小説
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百科事典マイペディア 「ジッド」の意味・わかりやすい解説

ジッド

フランスの作家。パリ大学教授を父とし,厳格なプロテスタントの家庭に育つ。P.ルイバレリーらの感化を受け,マラルメの火曜会にも出席。1891年に処女作《アンドレ・ワルテルの手記》で霊肉の相克に苦悩する魂を告白したが,道徳の息苦しさからの解放を求めて北アフリカに旅行。《パリュード》,《地の糧》(1897年)を経て《背徳者》(1902年),《狭き門》,《法王庁の抜け穴》(1914年),《田園交響楽》(1919年)などを発表。また1909年創刊の《NRF》誌で主導的役割を果たした。純粋小説といわれる長編《贋金(にせがね)作り》(1926年)を完成後,再びアフリカを訪れ,《コンゴ紀行》(1927年)で社会問題にも意欲的に発言し,1932年には共産党に入党を宣言したが,1936年にソ連の現状を見て失望し,《ソビエト紀行》で批判した。評論には名著《ドストエフスキー論》があり,また1889年以来の《日記》は誠実な人生態度の記録である。1947年ノーベル文学賞。
→関連項目河上徹太郎紀行文学グリーンシムノンシュランベルジェダビマルタン・デュ・ガールモラリスト

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジッド」の意味・わかりやすい解説

ジッド
Gide, André(Paul Guillaume)

[生]1869.11.22. パリ
[没]1951.2.19. パリ
フランスの小説家,評論家。パリ大学法学部教授を父に富裕な家庭に育つ。早くからマラルメ,バレリーと知合い,象徴派風の作品を書くが,すぐ脱し,生命の歓喜,自由を追求した多くの小説を発表。簡潔明快な文体は美的完成度が高い。また,1909年に『NRF (エヌエルエフ) 』誌を創刊,多数の有能な作家たちを世に送り出した。 47年ノーベル文学賞受賞。主著『パリュード』 Paludes (1895) ,『地の糧』 Les Nourritures Terrestres (97) ,『狭き門』 La Porte Étroite (1909) ,『法王庁の抜け穴』 Les Caves du Vatican (14) ,『田園交響楽』 La Symphonie pastorale (19) ,『贋金つかい』 Les Faux-Monnayeurs (26) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ジッド」の解説

ジッド
André Gide

1869~1951

フランスの作家。キリスト教思想から社会主義へ,さらに社会主義批判に至る思想を遍歴した。主著に『狭き門』『法王庁の抜穴』『コンゴ紀行』『ソ連紀行』などがある。1947年ノーベル文学賞受賞。

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世界大百科事典(旧版)内のジッドの言及

【象徴主義】より

…むしろ,種々の解釈が交錯しあい,かえって紛糾を重ねているようにさえ見える。なかには,ジッドの《ナルシス論》のように,内面の世界の微妙な深さを測り,内面の世界に向けられた批評意識を研ぎ澄ますところに象徴の機能を求める,注目すべきエッセーも数えられるが,全体として混乱した論議の時代という感はぬぐえない。 詩の制作の面では,若い詩人たちの作品には,マラルメのような,広大な宇宙に対応しようとする宇宙論的な特質は乏しく,内面の名状しがたい微妙な消息を歌い,倦怠,不安,孤独,衰頽等々の意識や感覚をあえかに表現する傾向が目だった。…

【男色】より

…プラトンを教皇としソクラテスを使節とする善なる教会の従僕であることを誇ったP.ベルレーヌとその相手のJ.N.A.ランボー,民衆詩人W.ホイットマン,社会主義運動にひかれた詩人E.カーペンター,男色罪で2年間投獄されたO.ワイルド,S.ゲオルゲなどがとくに知られているが,彼らばかりではない。ゲーテは《ベネチア格言詩》補遺で少年愛傾向を告白し,A.ジッドは《コリドン》で同性愛を弁護したばかりか,別の機会にみずからの男色行為も述べ,《失われた時を求めて》のM.プルーストは男娼窟を経営するA.キュジアと関係していた。J.コクトーと俳優J.マレーとの関係も有名である。…

【贋金づくり】より

…フランスのA.ジッドの小説。1926年刊。…

【反ファシズム】より

…日独伊三国軍事同盟締結と大政翼賛会,大日本産業報国会の結成は,40年のことであったが,このときにはすでに反ファシズムの組織と言論は皆無に近かった。【鈴木 正節】
【国際的な反ファシズム文化運動】
 国際的な反ファシズム文化運動の先駆としては,反戦を掲げてロマン・ロランとバルビュスが呼びかけ,ゴーリキー,アインシュタイン,ドライサー,ドス・パソスらが発起人に名を連ねる,1932年8月アムステルダムの国際反戦大会に29ヵ国2200名を集め,翌年パリで第2回大会を開催した〈アムステルダム・プレイエル運動〉,フランスの急進社会党代議士ベルジュリが主唱し,J.R.ブロック,ビルドラックらの協力した33年5月結成の〈反ファシズム共同戦線〉,ジッド,マルローらによる〈革命作家芸術家協会〉の33年における反ファシズム運動などがあげられる。しかし,それが政治的立場を超えた知識人の統一運動として定着するのは,34年の2月6日事件をまたなければならない。…

※「ジッド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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