西脇順三郎(読み)ニシワキジュンザブロウ

デジタル大辞泉 「西脇順三郎」の意味・読み・例文・類語

にしわき‐じゅんざぶろう〔‐ジュンザブラウ〕【西脇順三郎】

[1894~1982]詩人・英文学者。新潟の生まれ。慶大教授。シュールレアリスムの理論的指導者として活躍。詩集「アンバルワリア」「旅人かへらず」「近代の寓話」など。

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精選版 日本国語大辞典 「西脇順三郎」の意味・読み・例文・類語

にしわき‐じゅんざぶろう【西脇順三郎】

  1. 詩人、英文学者。新潟県生まれ。慶応義塾大学卒。同大教授。シュルレアリスムをはじめとする二〇世紀文学の新思潮を日本に紹介し、日本を代表する詩人として国際的評価を受けた。著作に「超現実主義詩論」、詩集に「Ambarvalia」「旅人かへらず」「第三の神話」など。明治二七~昭和五七年(一八九四‐一九八二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西脇順三郎」の意味・わかりやすい解説

西脇順三郎
にしわきじゅんざぶろう
(1894―1982)

詩人、英文学者。明治27年1月20日新潟県小千谷(おぢや)町に生まれる。慶応義塾大学理財科出身。ラテン語で卒業論文「純粋経済学」を提出。1922年(大正11)渡英。ダダ、未来派、立体派、シュルレアリスムなど前衛芸術の美と思想の渦巻くロンドンで、J・コリアーやS・バインズらと交流。モダニズムの洗礼を受ける。翌年、オックスフォード大学で古代中世英語英文学や言語学を学ぶ。24年10月、『THE CHAPBOOK』に「A Kensington Idyll」を発表。25年8月、ケイム・プレスより詩集『SPECTRUM』を刊行。『タイムズ』文芸付録、『デーリー・ニューズ』などに紹介された。26年4月、母校の英文科教授に就任。「プロフアヌス」(『三田文学』1926.4)で、A・ブルトンやI・ゴルのシュルレアリスムを「超自然主義」として受容。27年(昭和2)12月、自ら命名した『馥郁(ふくいく)タル火夫ヨ』を、佐藤朔(さく)、滝口修造、上田保らと創刊。『詩と詩論』の理論的指導者として活躍。『超現実主義詩論』(1929)、『シユルレアリスム文学論』(1930)、『ヨーロッパ文学』(1933)、『現代英吉利(イギリス)文学』(1934)などの多彩な著作活動を通して、シュルレアリスムをはじめ、ヨーロッパの新興文学のもっとも権威ある媒介者としてカリスマ的影響を与えた。「春の朝でも/我がシゝリヤのパイプは秋の音がする。/幾千年の思ひをたどり。」(「カプリの牧人」)を典型的詩想とする、詩集『Ambarvalia(アムバルワリア)』(1933・椎の木社)は、前衛詩の古典として昭和詩史にエポックを画す。

 第二次世界大戦中は詩作を断念し、『英米思想史』(1941)、編著『世界の言葉』(1943)のほかは、原始文化や民俗学、日本・中国の古典文学に沈潜し、博士論文『古代文学序説』(1948・好学社)の完成に専念する。敗戦体験を媒介に、『旅人かへらず』(1947)で詩的回心を告知し、『近代の寓話(ぐうわ)』(1953)、『第三の神話』(1956)、『失われた時』(1960)、『壌歌(じょうか)』(1969)と、東洋と西洋の美的伝統の精髄を汎神(はんしん)論的生命観から主体的に統一し、天衣無縫なシンクレティシズム(折衷主義)の詩風を形成。ノーベル文学賞にも推された。T・S・エリオット、ジョイス、シェークスピア、マラルメ等の訳詩がある。日本現代詩人会会長、日本学術会議会員、日本芸術院会員、アメリカアカデミー名誉会員、文化功労者。詩業は、M・D・ラケウィルツのイタリア語訳『GENNAIO A KYOTO』(京都のお正月)のほか、イギリス、フランス、旧ソ連、中国、韓国、ノルウェー、ルーマニアに紹介されている。R・M・リルケ、P・バレリー、T・S・エリオットとともに20世紀を代表する国際詩人で、その死に際し『ロンドン・タイムズ』(1982.6.19)は長文の追悼記事を発表した。昭和57年6月5日没。

[千葉宣一]

『『西脇順三郎全集』11巻・別巻1(1982~83・筑摩書房)』『村野四郎他編『西脇順三郎研究』(1971・右文書院)』『鍵谷幸信著『詩人西脇順三郎』(1983・筑摩書房)』『安東伸介他編『回想の西脇順三郎』(1983・三田文学ライブラリー)』

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改訂新版 世界大百科事典 「西脇順三郎」の意味・わかりやすい解説

西脇順三郎 (にしわきじゅんざぶろう)
生没年:1894-1982(明治27-昭和57)

詩人,英文学者。新潟県の生れ。中学を卒業後,画家を志して上京,藤島武二の門に入るが,当時の画学生の気風になじめず,画家を断念する。転じて慶応義塾大学を卒業。28歳のときにイギリスに留学し,オックスフォード大学で古代中世英語英文学を学ぶかたわら,当地の若い詩人らと交遊,モダニズム文芸の洗礼を受ける。1925年には,ロンドンで英語の詩集《Spectrum》を刊行した。帰国後,母校の文学部教授に就くと同時に活発な文学活動を始め,28年春山行夫編集の《詩と詩論》が創刊されるや,同誌に詩論,エッセー,作品を精力的に執筆し,当時の新詩運動の中心的な一人となった。33年,詩集《Ambarvalia(アンバルワリア)》を出版,その知的に洗練された近代感覚で注目を集め,詩壇的地位を確立する。その後,太平洋戦争を間にはさんで,約10年間詩作を中断,その間に読みあさった日本・東洋の古典からの影響が,戦後の詩集《旅人かへらず》(1947)における自然への永遠の郷愁,神秘的な憂愁の詩境となった。次いで《近代の寓話》(1953),《第三の神話》(1956)で,東洋と西洋の詩情の融和に達し,人間存在の根源にひそむ無常と哀愁の美感の中に知的な諧謔をまじえた新たな詩趣を示した。続いて《失われた時》(1960),《豊饒の女神》(1962)では,絶対無と永遠の世界への志向を見せながら,該博な知識に基づく多彩なイメージを駆使して円熟自在の詩境に遊び,その詩風の延長線上に《礼記》(1967),《鹿門》(1970),《人類》(1979)などの詩集を出した。詩集のほか,《超現実主義詩論》(1929),《ヨーロッパ文学》(1933),《純粋な鶯》(1934)など,詩論集,文学論集,随想集も多い。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「西脇順三郎」の解説

西脇 順三郎
ニシワキ ジュンザブロウ

大正・昭和期の詩人,英文学者 慶応義塾大学名誉教授。



生年
明治27(1894)年1月20日

没年
昭和57(1982)年6月5日

出生地
新潟県北魚沼郡小千谷町(現・小千谷市)

学歴〔年〕
慶応義塾大学理財科〔大正6年〕卒,オックスフォード大学〔大正14年〕中退

学位〔年〕
文学博士〔昭和24年〕

主な受賞名〔年〕
読売文学賞(第8回)〔昭和31年〕「第三の神話」,勲三等瑞宝章〔昭和43年〕,文化功労者〔昭和46年〕,勲二等瑞宝章〔昭和49年〕

経歴
大正9年慶大予科教員となり、11年留学生として渡英。14年英文詩集「Spectrum」をロンドンで刊行。同年帰国し、翌年慶大文学部教授に就任。以降、英文学を講じる傍ら、「詩と詩論」「文学」などに数々の詩論を発表、ダダ、シュールレアリスムなど日本での新しい新詩運動の中心的存在となる。昭和8年詩集「Ambarvalia」を刊行、詩人としての評価を確立する。10年以降はほとんど詩作をしないが、戦後、22年に「旅人かへらず」を刊行後は、旺盛活発な詩作を展開し、晩年まで詩魂は衰えなかった。37年慶大名誉教授、明治学院大教授、41年日本女子大教授を歴任。他に日本学術会議会員、日本現代詩会長など歴任し、36年芸術院会員、46年文化功労者となる。著作は他の詩集に「近代の寓話」「第三の神話」「失われた時」「壤歌」など、詩論に「超現実主義詩論」「シュルレアリスム文学論」、など、文学論に「ヨーロッパ文学」「古代文学序説」「T.S.エリオット」など、翻訳に「ヂオイス詩集」「荒地」などがある。また「西脇順三郎 詩と詩論」(全6巻)、「定本西脇順三郎全詩集」、「西脇順三郎全集」(全11巻・別1巻 筑摩書房)が刊行されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「西脇順三郎」の意味・わかりやすい解説

西脇順三郎【にしわきじゅんざぶろう】

詩人,英文学者。新潟県生れ。慶大理財科卒。英国留学後母校の文学部教授。春山行夫編集の詩誌《詩と詩論》などで活躍,シュルレアリスム運動の中心となる。詩集《Ambarvalia(あむばるわりあ)》(1933年),《旅人かへらず》(1947年),《近代の寓話》《えてるにたす》,評論《超現実主義詩論》など。
→関連項目滝口修造三田派

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西脇順三郎」の意味・わかりやすい解説

西脇順三郎
にしわきじゅんざぶろう

[生]1894.1.20. 新潟,小千谷
[没]1982.6.5. 小千谷
詩人,英文学者。 1917年慶應義塾大学理財科卒業。 22~25年オックスフォード大学で英語,英文学を学び,帰国後 26年慶大文学部教授。『超現実主義詩論』 (1929) ,『シュルレアリスム文学論』 (30) などを発表,シュルレアリスムを日本に紹介するとともに,その主知的実践としての詩集"Ambarvalia" (穀物祭,33) により新詩精神運動の中心的存在となった。第2次世界大戦後は『旅人かへらず』 (46) ,『第三の神話』 (56) ,『失われた時』 (60) などの詩集がある。芸術院会員。 71年文化功労者。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西脇順三郎」の解説

西脇順三郎 にしわき-じゅんざぶろう

1894-1982 大正-昭和時代の詩人,英文学者。
明治27年1月20日生まれ。イギリスに留学,大正14年英文詩集「Spectrum」を刊行。帰国後,母校慶大の教授。昭和3年から「詩と詩論」に作品,詩論を発表。8年詩集「Ambarvalia」を刊行。またシュールレアリスムなどヨーロッパの思想・文学を紹介した。46年文化功労者。昭和57年6月5日死去。88歳。新潟県出身。著作はほかに「旅人かへらず」「近代の寓話」など。
【格言など】考えよ人生の旅人 汝もまた岩間からしみ出た 水霊にすぎない(「旅人かへらず」)

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367日誕生日大事典 「西脇順三郎」の解説

西脇 順三郎 (にしわき じゅんざぶろう)

生年月日:1894年1月20日
大正時代;昭和時代の詩人;英文学者。慶応義塾大学教授;日本女子大教授
1982年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の西脇順三郎の言及

【アンバルワリア】より

西脇順三郎の日本語による第1詩集。1933年(昭和8)椎の木社刊。…

【シュルレアリスム】より

… 東アジア圏では,日本にのみこの運動の影響が及んだ。20年代の後半に西脇順三郎らの紹介によって,若い詩人たちの間に関心が芽生え,《詩と詩論》などいくつかの雑誌が刊行された。しかし最初の本格的なシュルレアリスム的活動は,滝口修造による自動記述の実験(1929‐31)とブルトン著《シュルレアリスムと絵画》(1928)の翻訳(1930)である。…

※「西脇順三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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