詩人、英文学者。明治27年1月20日新潟県小千谷(おぢや)町に生まれる。慶応義塾大学理財科出身。ラテン語で卒業論文「純粋経済学」を提出。1922年(大正11)渡英。ダダ、未来派、立体派、シュルレアリスムなど前衛芸術の美と思想の渦巻くロンドンで、J・コリアーやS・バインズらと交流。モダニズムの洗礼を受ける。翌年、オックスフォード大学で古代中世英語英文学や言語学を学ぶ。24年10月、『THE CHAPBOOK』に「A Kensington Idyll」を発表。25年8月、ケイム・プレスより詩集『SPECTRUM』を刊行。『タイムズ』文芸付録、『デーリー・ニューズ』などに紹介された。26年4月、母校の英文科教授に就任。「プロフアヌス」(『三田文学』1926.4)で、A・ブルトンやI・ゴルのシュルレアリスムを「超自然主義」として受容。27年(昭和2)12月、自ら命名した『馥郁(ふくいく)タル火夫ヨ』を、佐藤朔(さく)、滝口修造、上田保らと創刊。『詩と詩論』の理論的指導者として活躍。『超現実主義詩論』(1929)、『シユルレアリスム文学論』(1930)、『ヨーロッパ文学』(1933)、『現代英吉利(イギリス)文学』(1934)などの多彩な著作活動を通して、シュルレアリスムをはじめ、ヨーロッパの新興文学のもっとも権威ある媒介者としてカリスマ的影響を与えた。「春の朝でも/我がシゝリヤのパイプは秋の音がする。/幾千年の思ひをたどり。」(「カプリの牧人」)を典型的詩想とする、詩集『Ambarvalia(アムバルワリア)』(1933・椎の木社)は、前衛詩の古典として昭和詩史にエポックを画す。
第二次世界大戦中は詩作を断念し、『英米思想史』(1941)、編著『世界の言葉』(1943)のほかは、原始文化や民俗学、日本・中国の古典文学に沈潜し、博士論文『古代文学序説』(1948・好学社)の完成に専念する。敗戦体験を媒介に、『旅人かへらず』(1947)で詩的回心を告知し、『近代の寓話(ぐうわ)』(1953)、『第三の神話』(1956)、『失われた時』(1960)、『壌歌(じょうか)』(1969)と、東洋と西洋の美的伝統の精髄を汎神(はんしん)論的生命観から主体的に統一し、天衣無縫なシンクレティシズム(折衷主義)の詩風を形成。ノーベル文学賞にも推された。T・S・エリオット、ジョイス、シェークスピア、マラルメ等の訳詩がある。日本現代詩人会会長、日本学術会議会員、日本芸術院会員、アメリカアカデミー名誉会員、文化功労者。詩業は、M・D・ラケウィルツのイタリア語訳『GENNAIO A KYOTO』(京都のお正月)のほか、イギリス、フランス、旧ソ連、中国、韓国、ノルウェー、ルーマニアに紹介されている。R・M・リルケ、P・バレリー、T・S・エリオットとともに20世紀を代表する国際詩人で、その死に際し『ロンドン・タイムズ』(1982.6.19)は長文の追悼記事を発表した。昭和57年6月5日没。
[千葉宣一]
『『西脇順三郎全集』11巻・別巻1(1982~83・筑摩書房)』▽『村野四郎他編『西脇順三郎研究』(1971・右文書院)』▽『鍵谷幸信著『詩人西脇順三郎』(1983・筑摩書房)』▽『安東伸介他編『回想の西脇順三郎』(1983・三田文学ライブラリー)』
詩人,英文学者。新潟県の生れ。中学を卒業後,画家を志して上京,藤島武二の門に入るが,当時の画学生の気風になじめず,画家を断念する。転じて慶応義塾大学を卒業。28歳のときにイギリスに留学し,オックスフォード大学で古代中世英語英文学を学ぶかたわら,当地の若い詩人らと交遊,モダニズム文芸の洗礼を受ける。1925年には,ロンドンで英語の詩集《Spectrum》を刊行した。帰国後,母校の文学部教授に就くと同時に活発な文学活動を始め,28年春山行夫編集の《詩と詩論》が創刊されるや,同誌に詩論,エッセー,作品を精力的に執筆し,当時の新詩運動の中心的な一人となった。33年,詩集《Ambarvalia(アンバルワリア)》を出版,その知的に洗練された近代感覚で注目を集め,詩壇的地位を確立する。その後,太平洋戦争を間にはさんで,約10年間詩作を中断,その間に読みあさった日本・東洋の古典からの影響が,戦後の詩集《旅人かへらず》(1947)における自然への永遠の郷愁,神秘的な憂愁の詩境となった。次いで《近代の寓話》(1953),《第三の神話》(1956)で,東洋と西洋の詩情の融和に達し,人間存在の根源にひそむ無常と哀愁の美感の中に知的な諧謔をまじえた新たな詩趣を示した。続いて《失われた時》(1960),《豊饒の女神》(1962)では,絶対無と永遠の世界への志向を見せながら,該博な知識に基づく多彩なイメージを駆使して円熟自在の詩境に遊び,その詩風の延長線上に《礼記》(1967),《鹿門》(1970),《人類》(1979)などの詩集を出した。詩集のほか,《超現実主義詩論》(1929),《ヨーロッパ文学》(1933),《純粋な鶯》(1934)など,詩論集,文学論集,随想集も多い。
執筆者:小海 永二
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大正・昭和期の詩人,英文学者 慶応義塾大学名誉教授。
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… 東アジア圏では,日本にのみこの運動の影響が及んだ。20年代の後半に西脇順三郎らの紹介によって,若い詩人たちの間に関心が芽生え,《詩と詩論》などいくつかの雑誌が刊行された。しかし最初の本格的なシュルレアリスム的活動は,滝口修造による自動記述の実験(1929‐31)とブルトン著《シュルレアリスムと絵画》(1928)の翻訳(1930)である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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