謝枋得(読み)シャボウトク

デジタル大辞泉 「謝枋得」の意味・読み・例文・類語

しゃ‐ぼうとく〔‐バウトク〕【謝枋得】

[1226~1289]中国南宋政治家弋陽よくよう江西省)の人。あざなは君直。号は畳山との戦いに敗れて捕らえられたが節を曲げず、絶食死した。著「文章軌範」。

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精選版 日本国語大辞典 「謝枋得」の意味・読み・例文・類語

しゃ‐ぼうとく‥バウトク【謝枋得】

  1. 中国、南宋末の学者、政治家。字(あざな)は君直。諡(おくりな)文節。畳山先生と称された。弋陽(江西省)の人。豪爽直言の士で、宋末に元軍と戦い敗れ山に籠った。のち元朝に召されたが、異朝に仕えることをきらい絶食して死んだ。その気節は文天祥と並称される。著書に「畳山集」「文章軌範」などがある。(一二二六‐八九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「謝枋得」の意味・わかりやすい解説

謝枋得
しゃぼうとく
(1226―1289)

中国、宋(そう)代の学者。字(あざな)は君直。号は畳山(じょうざん)。弋陽(よくよう)(江西省)の人。1256年(宝祐4)の進士。剛直な性格で、元(げん)との講和画策する賈似道(かじどう)を批判して流罪にあったこともある。信州(江西省)の長官のとき、元軍に抵抗して敗れ、福建省に落ち延びて姓名を変え易者をしていた。のち元軍に捕らえられて北京(ペキン)に送られ、出仕を強要されたが断食して死んだ。その詩は沈痛悲涼。『畳山集』5巻がある。また彼の編集した『文章軌範』7巻は、中国では官吏任用試験のための模範文集として、日本では文章の名作集として広く読まれた。

[横山伊勢雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「謝枋得」の意味・わかりやすい解説

謝枋得 (しゃほうとく)
Xiè Fāng dé
生没年:1226-89

中国,宋末の文人,政治家。字は君直,畳山と号した。江西省弋陽(よくよう)県の出身。科挙受験者のための模範文集で,日本でも江戸期にひろく流行した《文章軌範》7巻の編者として知られる。人となりは豪爽,直言を好み,忠義をもって自己の務めとした。宝祐4年(1256)の進士。江東提刑を授けられ,信州(江西省)の知事として元軍を迎え撃って破れた。元からしばしば召されたが応ぜず,元都に送られ絶食して死んだ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「謝枋得」の意味・わかりやすい解説

謝枋得
しゃほうとく
Xie Fang-de; Hsieh Fang-tê

[生]宝慶2(1226)
[没]至元23(1286).大都
中国,南宋末の政治家。弋陽県 (江西省) の人。『文章軌範』の撰者。字は君直。号は畳山。文節先生ともいう。気概があり直言をもって知られ,宝裕年間 (1253~58) 進士にあげられたが辞退した。元軍の侵寇を受け,宋朝の回復に必死の画策をしたが効なく,福建に逃れ,元朝のたび重なる召用を拒否して忠節をまっとうした。

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世界大百科事典(旧版)内の謝枋得の言及

【文章軌範】より

…軌範とは手本・法則の意味。宋末の忠臣謝枋得(しやほうとく)の編。蜀漢の諸葛亮(しよかつりよう)の《出師表(すいしのひよう)》と晋の陶潜(淵明)の《帰去来兮辞(ききよらいのじ)》以外はすべて唐・宋人の文章から成り,韓愈31編,柳宗元5編,蘇軾(そしよく)12編,欧陽修5編,蘇洵4編などが多いほうである。…

※「謝枋得」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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