日本大百科全書(ニッポニカ) 「譜代下人」の意味・わかりやすい解説
譜代下人
ふだいげにん
譜代、譜代奉公人ともいい、おもに江戸時代に同一の主家に人身的に隷属して、世襲的に労役に従事した奉公人をいう。『地方凡例録(じかたはんれいろく)』に「家抱(ケハウ)は百姓の譜代の下人にして、門屋(モンヤ)と云処もあり庭子(ニハコ)と云処もあり」とあるように、地方によって家抱、門屋(かどやともいう)、庭子、さらには名子(なご)、被官(ひかん)などといわれた。また同書には「家抱と云は下人へ田畑を譲り、分附(ブンツケ)同然肩書に誰分誰と記すを云」、「田畑は譲り渡さずとも、譜代の家人夫婦とも屋敷内へ夫々差置(それぞれさしおき)、少しの田地(デンチ)を耕作致さするを庭子と云」とあって、夫婦を形成しているものの、主家から田地を譲り受けた者から、主家の屋敷内に住み田畑を貸し与えられて耕作する者まで、多様な形態があった。その成因としては中世以来の関係の継承、人身売買による没落などが考えられる。中世といっても、前期では「重代相伝の下人」「重代下人」と現れることが多く、一概に同一性格と考えることはできない。しかし、戦国期には「譜代相伝の者(下人)」の存在が確認され、譜代下人の前提が形成されていたと考えられる。しかし、江戸時代を通じて減少し、質奉公人、年季奉公人などに転化していった。なかには岡山藩のように、男は30歳、女は25歳を過ぎると暇を出し、譜代下人を百姓化する政策をとる藩もあった。
[木村茂光]