知恵蔵 「議員の公募制度」の解説
議員の公募制度
太平洋戦争前の民選議員選挙では、各地方の名望家などが主な候補者となっていた。選挙制度の変化などにより戦後は有権者が激増し、選挙戦には組織力と多大な資金が必要になる。このため、候補者に対する政党の権能が格段に強まり、当選後も政党の傘下にあって、その指示や決定に拘束された活動を行う傾向が強くなった。こうした背景から、主要政党では公認候補は地方議員や議員秘書、支持団体によって推薦された者など党内や派閥に近い人脈、官僚及び民間が主宰する政治塾の出身者など政治家として有為と見られる人材などを、選挙立候補者に当てるという手法が続いていた。
1994年の政治改革により衆議院選の中選挙区が廃止され、小選挙区比例代表並立制が導入されると、当選の条件として公認の有無がほとんど決定的な影響力を持つようになる。その一方で、党派閥の意向にかかわらず、選挙区有権者の多数の票を獲得できる候補者以外は、当選がおぼつかない。こうしたことから、政権掌握のためには党としても当選の可能性が高い候補者を選び出すことが急務となり、候補者の公募がクローズアップされた。
2005年小泉内閣は、郵政民営化法案成立に腐心するが、自民党内でもこれに異を唱える有力政治家が少なくなく、衆院はわずかな差で通過したものの参院では否決された。これに業を煮やした小泉首相は衆議院を解散し、政権に批判的な者、与党内であっても法案に反対票を投じた政治家を「抵抗勢力」と呼んで徹底的に排撃した。これを受けた衆院選では「抵抗勢力」を公認せず、別の自民党公認候補を「刺客」として選挙区に送り込むなどして多数の反対派議員を落選させると共に各選挙区でも善戦し与党が圧勝した。自民党の全国公募に応募し、まったく無名で政治経験もないまま小泉人気に便乗して初当選したことから、これらの議員は「小泉チルドレン」と呼ばれた。
これ以降の選挙でも小選挙区制の影響から、各党のある種のブームのようなもので予想外に当選する公募公認候補は少なくない。これら議員の中には、代議士としての自覚どころか政治的素養すらなく、社会一般の常識にも欠ける者がある。その発言が物議を醸したり、非常識な行為が発覚して批判を浴びたりしたことも少なくない。その一方で、有権者にとって世襲候補や圧力団体組織内候補などへの反感や失望感も根強い。その結果、各党の事情により条件や形態はまちまちだが、こうした候補者公募制は広がりを見せてきた。なお、自民党谷垣幹事長は16年2月に、不祥事を起こす公募議員が続出したことに対して、公募では個人の思想や素行のチェックは難しく、公募を見直す時期に来ていると述べている。
(金谷俊秀 ライター/2016年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報