谷川徹三(読み)タニカワテツゾウ

デジタル大辞泉 「谷川徹三」の意味・読み・例文・類語

たにかわ‐てつぞう〔たにかはテツザウ〕【谷川徹三】

[1895~1989]哲学者。愛知の生まれ。法政大総長。哲学で深い洞察を示す一方、宮沢賢治研究などの文学・芸術分野でも活躍。また、「人類主権」の立場からの平和運動でも著名。著「生の哲学」「茶の美学」「宮沢賢治の世界」など。

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共同通信ニュース用語解説 「谷川徹三」の解説

谷川徹三

1895年、現在の愛知県常滑市生まれ。文化、芸術など幅広く批評活動を行った哲学者。西田幾多郎にしだ・きたろうを慕って京大哲学科に入学。卒業後は法政大で教壇に立ち、総長も務めた。宮沢賢治みやざわ・けんじの研究でも知られる。著書に「茶の美学」「宮沢賢治の世界」「芸術の運命」などを残した。1989年に94歳で死去した。長男は詩人の俊太郎しゅんたろう氏。

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精選版 日本国語大辞典 「谷川徹三」の意味・読み・例文・類語

たにかわ‐てつぞう【谷川徹三】

  1. 哲学者、評論家。愛知県出身。京都帝国大学卒。法政大学教授、同大学総長。古今東西の思想・宗教・政治・文学・美術に及ぶ広範な評論活動を展開した。平和運動家としても有名。著書「感傷反省」「享受と批評」「芸術の運命」など。明治二八~平成元年(一八九五‐一九八九

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20世紀日本人名事典 「谷川徹三」の解説

谷川 徹三
タニカワ テツゾウ

昭和期の哲学者,文芸・美術評論家 法政大学名誉教授。



生年
明治28(1895)年5月26日

没年
平成1(1989)年9月27日

出生地
愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)

学歴〔年〕
京都帝国大学文学部哲学科〔大正11年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和35年〕

主な受賞名〔年〕
勲二等瑞宝章〔昭和42年〕,NHK放送文化賞〔昭和50年〕,常滑市名誉市民〔昭和62年〕,文化功労者〔昭和62年〕

経歴
同志社大学講師を経て、昭和3年法政大学教授となり、かたわら和辻哲郎、林達夫らと「思想」の編集に携わる。戦後、「婦人公論」主幹、東京帝室博物館次長、「心」編集代表委員などを経て、37年法政大総長、翌年総長兼理事長に就任。45年に退職した後は、日本ユネスコ協会連盟顧問など諸要職を兼ねる。宮沢賢治の研究・紹介や、AA諸国への文化使節活動などで知られる。その思想は、宗教的宇宙観・人生観を内包した融和指向を持つもので、諸民族の世界連邦を提唱。また日本文化への縄文的系譜の流れを前提とする、近代批判の視点の導入などに功績がある。著書に「感傷と反省」「生活・芸術・哲学」「享受と批評」「東洋と西洋」「茶の美学」「生の哲学」「ヒューマニズム」「平和の哲学」「宮沢賢治の世界」「芸術の運命」「縄文的原型と弥生的原型」「人間であること」など。「谷川徹三選集」(全3巻 斎藤書店)がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「谷川徹三」の意味・わかりやすい解説

谷川徹三
たにかわてつぞう
(1895―1989)

哲学者。明治28年5月26日愛知県に生まれる。1922年(大正11)京都帝国大学哲学科を卒業。1928年(昭和3)法政大学文学部哲学科教授。1951年(昭和26)理事、1963年総長(1965年辞任)を歴任。法政大学名誉教授。地中海学会会長、愛知県文化懇談会議長その他多くの要職につく。その活動は幅広く、世界連邦政府運動、憲法問題研究会、科学者京都会議に加わる。1975年芸術院会員。ゲーテの人間性と思想に深く共鳴し、美の深さと高さを探究している。宗教的立場は、ゲーテのいっさいのものに神をみる汎神(はんしん)論で、宮沢賢治(みやざわけんじ)への傾倒もそこに由来する。「生涯一書生」をモットーとする。著書に『感傷と反省』(1925)、『享受と批評』(1930)、『生の哲学』(1947)、『宮沢賢治』(1951)、『人間であること』(1971)などがある。1987年文化功労者に選ばれた。

[原島 正 2016年9月16日]

『『谷川徹三選集』全3巻(1946~1947・斎藤書店/復刻版・1997・日本図書センター)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「谷川徹三」の意味・わかりやすい解説

谷川徹三
たにかわてつぞう

[生]1895.5.26. 愛知,常滑
[没]1989.9.27. 東京
哲学者,評論家。第一高等学校を経て 1922年京都大学哲学科卒業。西田幾多郎門下。 28年法政大学教授。同大総長をつとめた。国立博物館次長ほか文教方面の諸委員会に関係。哲学と文学,芸術の接点を求めて文芸評論,文明批判に独自の領域を開き,『生活・哲学・芸術』 (1930) ,『日本人のこころ』 (38) ,『東洋と西洋』 (40) ,『茶と美学』 (45) ,『生の哲学』 (47) ,『芸術の運命』 (64) ,『人間であること』 (72) など数多くの著作を発表。世界連邦政府運動の熱心な提唱者でもあった。芸術院会員。

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百科事典マイペディア 「谷川徹三」の意味・わかりやすい解説

谷川徹三【たにかわてつぞう】

哲学者。愛知県生れ。京大卒。法政大教授,雑誌《思想》編集者,《婦人公論》主幹,帝室(国立)博物館次長を経て,1962年法政大総長。西田幾多郎に傾倒し,美術,文芸,宗教,社会など多彩な評論を行った。《谷川徹三選集》全3巻がある。長男谷川俊太郎は詩人。
→関連項目谷川俊太郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷川徹三」の解説

谷川徹三 たにかわ-てつぞう

1895-1989 昭和時代の哲学者。
明治28年5月26日生まれ。昭和3年法大教授,37年同大総長。この間,林達夫らと「思想」の編集にあたる。宮沢賢治の研究をはじめ,芸術・社会・文化・思想など多方面の評論活動をおこなう。世界連邦運動に共鳴,科学者平和会議などにも参加。昭和62年文化功労者。平成元年9月27日死去。94歳。愛知県出身。京都帝大卒。著作に「平和の哲学」「宮沢賢治」など。

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367日誕生日大事典 「谷川徹三」の解説

谷川 徹三 (たにかわ てつぞう)

生年月日:1895年5月26日
昭和時代の哲学者;文芸・美術評論家。「婦人公論」主幹;法政大学総長
1989年没

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世界大百科事典(旧版)内の谷川徹三の言及

【映画】より

…〈映画は葛藤(かつとう)の芸術である〉と定義し,〈映画芸術的な形象,映画芸術的な形式を創造する秘密〉を徹底して追究したエイゼンシテインも,〈娯楽性のイースト(酵母)菌に膨らんだ大多数の平凡な映画作品〉を差別せざるをえなかったし,アメリカの映画批評家タマール・レインもその著《米国映画界縦横録》(1923)において,〈活動写真に芸術がないと云うならば,その人は映画に対する偏見に固まっているのか,さもなければ,生憎その人が常設館へ見に行った時には《ボッブド・ヘアー》とか《ターザン》などという写真がかかって居たので,それから割り出した議論であろう〉と書いた。日本でもH.ミュンスターバーグの映画理論の草分け的名著《映画劇――その心理学と美学》(1916)を訳出した哲学者,谷川徹三(久世昂太郎)はその序文で,〈活劇〉によって映画劇全体を推しはかってはならないとし,映画が独自の芸術であることを理解するためには〈優れた監督と俳優との折紙づきの映画を見ること〉だと書いている。商業主義から見放されたいわゆる〈のろわれた映画〉の擁護に立ち上がったコクトーも,他方では〈映画は芸術か〉という問いほどナンセンスなものはないとしながらも,〈すべてのあやまちはシネマトグラフがただ産業の面からのみとらえられてしまった〉ことだとし,〈文学や絵画や音楽が生産されるものではないように,映画もまた生産されるものではない〉と,その〈芸術性〉のみを主張するに至る。…

※「谷川徹三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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