デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊竹島太夫」の解説
豊竹島太夫(6代) とよたけ-しまたゆう
天保(てんぽう)元年生まれ。大坂の人。義太夫節の5代豊竹湊(みなと)太夫の弟子。豊竹千鳥太夫をへて慶応の末ごろに6代を襲名。大坂,京都,江戸,土佐と各地で活躍。晩年は金沢にすんだ。明治17年4月16日死去。55歳。本名は小山(一説に小西)平吉。
豊竹島太夫(初代) とよたけ-しまたゆう
和泉(いずみ)(大阪府)の人。義太夫節の豊竹越前少掾(えちぜんのしょうじょう)の弟子。享保(きょうほう)2年(1717)豊竹座に初出演。10年江戸へおもむき永住する。2代豊竹若太夫を称したが代数にはいれられていない。
豊竹島太夫(5代) とよたけ-しまたゆう
播磨(はりま)(兵庫県)姫路の人。義太夫節の3代竹本住太夫の弟子。文政12年(1829)初出演。竹本高太夫,大島太夫をへて天保(てんぽう)14年(1843)5代を襲名。のち江戸におもむき,同地で没した。通称は藤助。
豊竹島太夫(3代) とよたけ-しまたゆう
大坂の人。義太夫節の竹本播磨大掾(はりまのだいじょう)の弟子。文化6年(1809)初出演。竹本文字太夫,竹本島太夫をへて,文政3年3代を襲名した。文政10年(1827)京都で死去したという。
豊竹島太夫(4代) とよたけ-しまたゆう
大坂の人。義太夫節の3代豊竹島太夫の弟子。文政10年(1827)初出演。竹本八十太夫,豊竹広太夫,竹本島太夫をへて13年4代を襲名した。通称は平助。