豊竹島太夫(読み)とよたけ しまたゆう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊竹島太夫」の解説

豊竹島太夫(6代) とよたけ-しまたゆう

1830-1884 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫
天保(てんぽう)元年生まれ。大坂の人。義太夫節の5代豊竹湊(みなと)太夫の弟子。豊竹千鳥太夫をへて慶応の末ごろに6代を襲名。大坂,京都,江戸,土佐と各地で活躍。晩年金沢にすんだ。明治17年4月16日死去。55歳。本名小山(一説小西)平吉。

豊竹島太夫(初代) とよたけ-しまたゆう

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
和泉(いずみ)(大阪府)の人。義太夫節の豊竹越前少掾(えちぜんのしょうじょう)の弟子。享保(きょうほう)2年(1717)豊竹座に初出演。10年江戸へおもむき永住する。2代豊竹若太夫を称したが代数にはいれられていない。

豊竹島太夫(5代) とよたけ-しまたゆう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
播磨(はりま)(兵庫県)姫路の人。義太夫節の3代竹本住太夫の弟子。文政12年(1829)初出演。竹本高太夫,大島太夫をへて天保(てんぽう)14年(1843)5代を襲名。のち江戸におもむき,同地で没した。通称は藤助。

豊竹島太夫(3代) とよたけ-しまたゆう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
大坂の人。義太夫節の竹本播磨大掾(はりまのだいじょう)の弟子。文化6年(1809)初出演。竹本文字太夫,竹本島太夫をへて,文政3年3代を襲名した。文政10年(1827)京都で死去したという。

豊竹島太夫(4代) とよたけ-しまたゆう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
大坂の人。義太夫節の3代豊竹島太夫の弟子。文政10年(1827)初出演。竹本八十太夫,豊竹広太夫,竹本島太夫をへて13年4代を襲名した。通称は平助。

豊竹島太夫(7代) とよたけ-しまたゆう

豊竹若大夫(とよたけ-わかたゆう)(10代)

豊竹島太夫(2代) とよたけ-しまたゆう

豊竹若太夫(とよたけ-わかたゆう)(2代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の豊竹島太夫の言及

【豊竹若太夫】より

…(2)2世(?‐1784(天明4)) 竹本播磨少掾の門人。志摩太夫から2世竹本島太夫となり,1748年(寛延1)に起こった忠臣蔵騒動(《仮名手本忠臣蔵》)で豊竹座へ移籍,翌々年2世を襲名したが,のち再び島太夫(豊竹島太夫)と称した。(3)3世 生没年不詳。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」