賀茂別雷神社境内(読み)かもわけいかづちじんじゃけいだい

国指定史跡ガイド 「賀茂別雷神社境内」の解説

かもわけいかづちじんじゃけいだい【賀茂別雷神社境内】


京都府京都市北区上賀茂本山にある神社。京都市街の北端賀茂川が京都盆地に入っていくあたりの左岸に立地する。通称は上賀茂(かみがも)神社、一般に上賀茂社、上社ともいわれ、賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)をまつる。賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨(しもがも)神社)とともに、古代の賀茂氏の氏神をまつる神社として賀茂神社(賀茂社)と総称され、両社をもって1社のような扱いをされてきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭は、京都三大祭りの一つ、葵祭(あおいまつり)として有名である。本殿、権殿は国宝に、楼門、片岡橋、細殿、橋殿など多くの建物が重要文化財に指定され、境内は1993年(平成5)に国の史跡に指定された。1994年(平成6)には「古都京都の文化財」の一部として、世界遺産に登録された。創建は古く、社伝では神武天皇の時代に賀茂山の麓の御阿礼所(みあれしょ)に賀茂別雷命が降臨したといい、細殿の前の2つの立砂は降臨した山をかたどっているという。もとは賀茂県主(あがたぬし)の神社であったが、古代国家の成立とともに強力な地方大社に発展し、平安時代には両賀茂社は京の都と皇室守り神として信仰を受け、810年(弘仁1)以降約400年にわたって伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。中世には多くの荘園を擁し、豊臣・徳川氏は2500石余りの所領を与えて保護した。1751年(寛延4)の古図によれば、旧境内は南は旧藤ノ木通り、北は貴船の谷、東は深泥池(みどろがいけ)西の鞍馬道、西は賀茂川という広大な地域であったが、現在は、境内の中枢部と、磐座(いわくら)である神山を中心とする地に縮小された。境内地の南には、社家町が形成されていたが、社家として江戸時代の姿を残すのは、いわゆる神主7家のうち梅辻家と岡本家、社司の井関家、氏人の山本家と岩佐家、藤木家であり、またその西部においては、ほぼ境内地と社家町の間を流れる明神川と、それに接する築地に昔の面影をとどめ、これらを含めて史跡指定されている。JR東海道新幹線ほか京都駅から京都市営バス「上賀茂神社前」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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