デジタル大辞泉
「荒川修作」の意味・読み・例文・類語
あらかわ‐しゅうさく〔あらかはシウサク〕【荒川修作】
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荒川修作
あらかわしゅうさく
[生]1936.7.6. 愛知,名古屋
[没]2010.5.19. アメリカ合衆国,ニューヨーク,ニューヨーク
美術家。コンセプチュアル・アートの先駆者の一人。1956年武蔵野美術学校に入学,その後中退。1957~61年読売アンデパンダン展に出品。1960年ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ(→ダダ)の結成に参加し,棺桶型の木箱の中に不気味な形状のセメントの塊を置いた立体作品を発表。1961年に渡米,滝口修造のはからいでマルセル・デュシャンに会い,ニューヨークを拠点に活動を続けた。1964年頃から記号,ことば,数字などを画面に描いたダイアグラム(図式)的絵画作品に移行した。「ダイアグラム」「意味のメカニズム」シリーズで注目を浴び,アメリカ合衆国,イタリア,ドイツ,日本,フランスなどで個展が開催され,高く評価された。1972年頃から建築的実験モデルの制作を始め,庭園「養老天命反転地」(1995),集合住宅「三鷹天命反転住宅」(2005)など特異な作品が話題になった。妻で詩人のマドリン・ギンズは仕事上のパートナーでもあり,共著に『意味のメカニズム』(1971)がある。1986年フランスの芸術文芸勲章シュバリエ,2003年紫綬褒章を受章。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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荒川修作
あらかわしゅうさく
(1936―2010)
洋画家。美術家。名古屋に生まれ、武蔵野(むさしの)美術大学を中退。読売アンデパンダン展を舞台として進出した第二次世界大戦後の前衛美術の旗手の一人で、「ネオ・ダダ・オルガナイザー」を結成して反芸術運動を展開した。1961年(昭和36)渡米してまもなくニューヨークで制作活動を始め、製図のような平面図形による様式を確立し、アメリカの美術状況とは異なる繊細で非情な詩学を提示した。ウィットゲンシュタインの哲学を現代絵画に詠み込むという特異な方法論をとっている。1977年には欧米各地で、1979年には東京、大阪などで大規模な個展を開催した。後年は、平面作品による表現から建築などの空間作品へと移行。詩人のマドリン・ギンズ夫人とともに、1995年(平成7)岐阜県養老町に設計された「天命反転地」は各方面で話題を呼んだ。
[桑原住雄]
『荒川修作・M・ギンズ著、市川浩訳『意味のメカニズム』(1988・リブロポート)』▽『荒川修作・M・ギンズ著、工藤順一・塚本明子訳『建築‐宿命反転の場―アウシュヴィッツ‐広島以降の建築的実験』(1995・水声社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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荒川修作 あらかわ-しゅうさく
1936-2010 昭和後期-平成時代の洋画家。
昭和11年7月6日生まれ。昭和35年篠原有司男(うしお)らとネオ・ダダイズム・オルガナイザーズを結成。36年からニューヨーク在住。43年現代日本美術展で最優秀賞。63年ベルギー批評家賞受賞。幾何学的な線や矢印,記号などをもちいた図式絵画を展開,国際的に活躍する。平成8年岐阜県養老町につくった公園「養老天命反転地」で日本芸術大賞。9年グッゲンハイム美術館で回顧展開催。平成22年5月19日ニューヨークで死去。73歳。愛知県出身。武蔵野美術学校(現・武蔵野美大)中退。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の荒川修作の言及
【アメリカ美術】より
…一部のヨーロッパ系美術の影響を除けば,日本の戦後美術はアメリカの同時代美術の文脈をたどって形成されたもので,その傾向は今も続いている。戦後アメリカで活動した画家には岡田謙三(1902‐82),猪熊弦一郎(1902‐93),川端実(1911‐ ),新妻実(1930‐ ),篠原有司男(うしお)(1932‐ ),河原温(かわらおん)(1933‐ ),荒川修作(1936‐ )らがいる。【桑原 住雄】。…
※「荒川修作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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