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宮武外骨 みやたけ がいこつ

美術人名辞典の解説

宮武外骨

著述家・明治文化史家。幼名亀四郎、号は半狂堂。讃岐生。明治20年『頓智協会雑誌』を、のち大阪で『滑稽新聞』を発行。風俗史・政治裏面史に造詣があり、古川柳浮世絵の研究者としても知られる。晩年は日本新聞史研究に尽力した。昭和30年(1955)歿、88才。

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デジタル大辞泉の解説

みやたけ‐がいこつ〔‐グワイコツ〕【宮武外骨】

[1867~1955]ジャーナリスト・文化史家。香川の生まれ。本名、亀四郎。大阪で「滑稽新聞」を発行、風俗史・政治裏面史で多数の著作を残した。東大の明治新聞雑誌文庫主任として同文庫の充実に尽力。著「筆禍史」など。

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百科事典マイペディアの解説

宮武外骨【みやたけがいこつ】

ジャーナリスト,風俗史・新聞史研究家。讃岐生れ。反骨の奇人として知られる。《頓智協会雑誌》《滑稽新聞》《大阪滑稽新聞》,雑誌《此花》,日刊誌《不二》,雑誌《スコブル》など多くの新聞・雑誌を創刊,反官的風刺を行い,筆禍をたびたびまねく。
→関連項目明治文化全集森近運平

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宮武外骨 みやたけ-がいこつ

1867-1955 明治-昭和時代前期のジャーナリスト。
慶応3年1月18日生まれ。明治20年「頓智(とんち)協会雑誌」,34年「滑稽(こっけい)新聞」ほか,多数の雑誌を創刊。権力を風刺してしばしば筆禍をこうむる。昭和2年東京帝大の明治新聞雑誌文庫主任となり,資料収集に専念した。昭和30年7月28日死去。88歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。幼名は亀四郎。著作に「筆禍史」「猥褻(わいせつ)風俗史」など。
【格言など】過激にして愛嬌あり(「滑稽新聞」の標語)

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世界大百科事典 第2版の解説

みやたけがいこつ【宮武外骨】

1867‐1955(慶応3‐昭和30)
ジャーナリスト,風俗史・新聞史研究家。反骨の奇人として知られる。讃岐(香川県)の豪農に生まれる。幼名を亀四郎と称したが,亀の外骨内肉にちなみ外骨と改名,のち〈がいこつ〉を〈とぼね〉と改めた。1886年に東京で頓智協会を設立,翌年《頓智協会雑誌》を創刊した。89年の大日本帝国憲法発布にあわせ,〈大日本頓智研法〉を骸骨が授与する戯画を掲載したため不敬罪に問われ,上告して争ったが重禁錮3年,罰金100円に処せられた。

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大辞林 第三版の解説

みやたけがいこつ【宮武外骨】

1867~1955) 文化史家・ジャーナリスト。香川県生まれ。本名は亀四郎。廃姓外骨とも。特異な活動はしばしば筆禍事件を起こす。東大の明治新聞雑誌文庫主任。著「私刑類纂」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宮武外骨
みやたけがいこつ

[生]慶応3(1867).1.18. 香川
[没]1955.7.28. 東京
ジャーナリスト,文化史家。「とぼね」ともいう。初め『滑稽新聞』『頓智協会雑誌』などで時代諷刺に本領を発揮,多数の読者を得たが,不敬罪などで通算4年以上の獄中生活を経験。大正後期からは新聞史を中心とする明治文化史の研究や文献収集に専念。 1927年東京大学法学部付属明治新聞雑誌文庫の創立にあたり,吉野作造懇望で管理主任となり,以後第2次世界大戦終戦までその維持にあたった。主著『府藩県制史』『明治演説史』『明治奇聞』『猥褻風俗史』。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宮武外骨
みやたけがいこつ
(1867―1955)

明治・大正・昭和期のジャーナリスト、新聞史研究家。慶応(けいおう)3年1月18日讃岐(さぬき)国(香川県)の豪農の家に生まれる。幼名亀四郎。18歳のとき漢和辞典の「亀外骨内肉者也」という説明から外骨と改名。少年時から『団々(まるまる)珍聞』などに狂詩を投書。1886年(明治19)『屁茶無苦(へちゃむく)新聞』を創刊したが、風俗壊乱として発売禁止となる。以後彼の特異な新聞・雑誌活動は数多くの筆禍を被った。1887年『頓智(とんち)協会雑誌』を創刊。同誌第28号に大日本帝国憲法発布式を風刺した「頓智研法発布式之図」を掲げたことから不敬罪に問われ、禁錮3年を受ける。1901年(明治34)大阪で『滑稽(こっけい)新聞』を創刊。風刺記事、戯作(げさく)によって大いに評判を得たが、しばしば筆禍にあった。また平民社の社会主義運動に共感して資金を援助し、『大阪平民新聞』の発行も助けた。第12、13回衆議院議員総選挙に「選挙違反告発候補者」として立候補したが、落選。関東大震災(1923)後は、明治の新聞・雑誌の保存収集の必要性に着目。1924年(大正13)吉野作造らと明治文化研究会を組織し、明治文化の研究に全力を傾けるとともに、博報堂の瀬木博尚(1852―1939)の援助を得て東京帝国大学に明治新聞雑誌文庫を設置、以後は同文庫主任として収集充実に努めた。『筆禍史』(1911)、『売春婦異名集』(1921)、『明治密偵史』(1926)など多くの著書がある。昭和30年7月28日死去。[有山輝雄]
『『宮武外骨著作集』全8巻(1985~1990・河出書房新社) ▽木本至著『評傳宮武外骨』(1984・社会思想社) ▽吉野孝雄著『宮武外骨』(河出文庫)』

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世界大百科事典内の宮武外骨の言及

【滑稽新聞】より

…1901年(明治34)1月25日,宮武外骨が大阪で発行した雑誌型(A4判通常20ページ)の権力風刺新聞(月2回刊)。〈強者を挫いて弱者を扶け,悪者に反抗して善者の味方になる〉の発行趣旨のもと,権威をふり回す官吏,検察官,検事,裁判官,政治家,僧侶,悪徳商人,悪徳新聞に筆誅(ひつちゆう)を加え,詐欺広告やゆすりを告発するなど痛烈過激の記事を風刺画入りで満載したため,庶民の人気を集め,最盛期には8万部を発行したという。…

【筆禍】より

…著書や新聞雑誌その他に発表した文章が,権力批判,風俗壊乱を理由に官憲の処罰の対象となり,体刑,罰金,発売禁止などの処分をうけること。出版による文学や言論の広範な普及に対処するために,国家機関が検閲制度を強化するにしたがって筆禍の事例は増加するが,日本では宮武外骨の《筆禍史》(1911)に〈筆禍の史実は此徳川時代に入りて,政治史の片影と見るべき社会的事象の一と成りしなり〉とあるように,木版印刷が盛行する江戸時代初期から,出版物の取締りがはじまっている。山鹿素行が《聖教要録》,林子平が《海国兵談》により,それぞれ幕府から処罰をうけたことはよく知られているが,享保,寛政,天保の三大改革にあたっては,戯作(げさく)小説も風俗壊乱のかどで取締りの対象となった。…

【明治新聞雑誌文庫】より

…内外通信社博報堂の創業者瀬木博尚の寄付により1926年設立決定,翌年2月から事務を開始した。初代主任宮武外骨の努力で多くの貴重な新聞・雑誌が収集された。明治中期までの東京発行の新聞・雑誌,大阪の新聞を網羅し,官庁発行の日誌類と地方のものもよく所蔵されている。…

※「宮武外骨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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