越野 栄松(初代)
コシノ エイショウ
- 職業
- 箏曲家(山田流)
- 肩書
- 日本三曲協会会長 重要無形文化財保持者(箏曲)〔昭和31年〕
- 本名
- 越野 三次郎(コシノ サンジロウ)
- 生年月日
- 明治20年 3月19日
- 出生地
- 神奈川県 横浜
- 経歴
- 明治28年失明、9歳で初代山木検校門下の望田栄喜に師事、栄松を名乗る。36年4代目山木千賀の内弟子となって、初代丸田島能に三弦を習い、初代高橋栄清に師事。38年歌舞伎座で初舞台。大正6年高橋栄清らと楽成会を設立。10年4代目山木没後、5代目を継がず、13年上京、山田流箏曲協会理事となった。15年中能島松仙、田藤清風と共編で「山田流箏歌八葉集」を刊行。昭和9年和声会を設立、会長に就任。22年今井慶松日本三曲協会会長の没後、富崎春昇会長の下で副会長となり、33年富崎没後に会長となった。実質的に山木派代表者であり、戦後は山田流全体の代表的存在。31年人間国宝に認定される。
- 受賞
- 勲四等旭日小綬章〔昭和40年〕
- 没年月日
- 昭和40年 6月1日 (1965年)
- 家族
- 妹=越野 栄松(2代目)
越野 栄松(2代目)
コシノ エイショウ
- 職業
- 箏曲家(山田流)
- 本名
- 小野寺 玉枝
- 旧名・旧姓
- 越野
- 別名
- 旧芸名=小野寺 玉枝
- 生年月日
- 明治25年 2月25日
- 出生地
- 神奈川県 横浜市
- 経歴
- 初代越野栄松の妹。小野寺家に嫁ぎ、小野寺玉枝の名で横浜で活躍。昭和41年兄の死後、2代目越野栄松を襲名した。
- 没年月日
- 昭和49年 7月13日 (1974年)
- 家族
- 兄=越野 栄松(初代)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
越野 栄松(1代目)
コシノ エイショウ
大正・昭和期の箏曲家(山田流)
- 生年
- 明治20(1887)年3月19日
- 没年
- 昭和40(1965)年6月1日
- 出生地
- 神奈川県横浜
- 本名
- 越野 三次郎
- 経歴
- 失明して9歳で望田栄喜に師事、16歳で独立、明治35年4代山木千賀の内弟子となって初代丸田島能に三弦を習い、初代高橋栄清に師事。大正6年高橋栄清らと楽成会を設立、10年4代山木没後、5代山木を継がず、13年山田流箏曲協会理事となった。15年中能島松仙、田藤清風と共編で「山田流箏曲八葉集」を刊行。昭和22年今井慶松日本三曲協会長の没後、富崎春昇新会長の下で副会長となり、富崎没後会長となった。実質的に山木派代表者であり、戦後は山田流全体の代表的存在。31年重要無形文化財保持者。
越野 栄松(2代目)
コシノ エイショウ
大正・昭和期の箏曲家(山田流)
- 生年
- 明治25(1892)年2月25日
- 没年
- 昭和49(1974)年7月13日
- 出生地
- 神奈川県横浜
- 本名
- 小野寺 玉枝
- 別名
- 旧芸名=小野寺 玉枝
- 経歴
- 初代栄松の妹。小野寺家に嫁ぎ、小野寺玉枝の名で活躍。昭和41年兄の死後、2代越野栄松を襲名した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
越野栄松
こしのえいしょう
(1887―1965)
山田流箏曲(そうきょく)の演奏家。本名越野三次郎。横浜に生まれ、箏の望田栄喜に入門後、1902年(明治35)4世山木千賀(せんが)の内弟子となる。三絃(さんげん)は初世丸田島能、初世高橋栄清(えいせい)に師事。17年(大正6)高橋栄清、初世萩岡松韻(はぎおかしょういん)と箏曲楽成会を設立。24年山田流箏曲協会理事に就任。26年、中能島(なかのしま)松仙、田藤清風らと『山田流箏歌(ことうた)八葉集』を編集。山木派の代表者のみならず、山田流全体の代表的存在となり、56年(昭和31)重要無形文化財保持者に認定される。なお、2世栄松を初世の没後、妹の小野寺玉枝(1892―1974)が名のった。
[平山けい子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
越野栄松
こしのえいしょう
[生]1887.3.19. 神奈川,横浜
[没]1965.6.1. 東京
山田流箏曲家。本名越野三次郎。望田栄貴および4世山木千賀に師事,昭和初期の山木派のみならず山田流を代表する名手。 1956年に重要無形文化財保持者に認定された。門下に中田博之らがいる。没後はその妹の小野寺玉枝 (1892~1974) が2世越野栄松を襲名。2世没後,その名跡は絶えている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
越野栄松(初代) こしの-えいしょう
1887-1965 大正-昭和時代の箏曲(そうきょく)家。
明治20年3月19日生まれ。6歳で失明。山田流山木派4代山木千賀(せんが)らにまなぶ。大正6年初代高橋栄清(えいせい),初代萩岡松韻(はぎおか-しょういん)と楽成会を結成。山田流の代表的存在で,昭和31年人間国宝。昭和40年6月1日死去。78歳。神奈川県出身。本名は三次郎。共編著に「山田流箏歌(ことうた)八葉集」。
越野栄松(2代) こしの-えいしょう
1892-1974 大正-昭和時代の箏曲(そうきょく)家。
明治25年2月25日生まれ。山田流。初代越野栄松の妹。結婚して小野寺玉枝となり,横浜で活躍。兄の没後,昭和41年2代をついだ。昭和49年7月13日死去。82歳。神奈川県出身。
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越野 栄松(初代) (こしの えいしょう)
生年月日:1887年3月19日
大正時代;昭和時代の箏曲家
1965年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の越野栄松の言及
【箏曲】より
…箏曲家の多くは,山田流を除いて地歌三味線家を兼ねており,山田流箏曲家も,山田流独自の三味線のほか,地歌三味線も扱うが,三味線の組歌は伝承しない。現代邦楽の作曲活動に従事する者も,古典曲の伝承を基本としており,山田流では,初世越野栄松(1887‐1965),中能島欣一,2世上原真佐喜(1903‐96)が,それぞれ人間国宝に指定され,生田流箏曲家としては,米川文子(1894‐1995),宮城喜代子(1905‐91)が指定されている。なお,地歌の人間国宝の菊原初子,富山清琴らは,箏曲家としても第一流である。…
【山木派】より
…段物の演奏では,山田検校より上であったという逸話(《[甲子夜話]》)もある。門下に,2世山木のほか,吉田蓮台一検校,木村千代一検校(本来は吉田の弟子),玉川萩之一検校らがあり,木村の門から初世越野栄松の先師望田栄貴,玉川の門から,藤植流(ふじえりゆう)胡弓家でもある山室保嘉が出た。なお,木村の弟弟子青木勾当の門から,後に[山勢派]に転じた山多喜(山田喜・山滝)栄松一検校(後名松調)が出ている。…
※「越野栄松」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」