路通(読み)ロツウ

デジタル大辞泉 「路通」の意味・読み・例文・類語

ろつう【路通】

八十村路通やそむらろつう

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精選版 日本国語大辞典 「路通」の意味・読み・例文・類語

ろつう【路通】

  1. 江戸中期俳人。露通・呂通とも。八十村(やそむら)氏。姓は斎部(いんべ)。二十代から乞食僧となり、のち、芭蕉に師事した。奇行が多く、同門反感を買ったり芭蕉に破門されたりしている。編著俳諧勧進牒」「桃舐集」「芭蕉翁行状記」。生没年未詳。慶安四年(一六五一)頃から元文四年(一七三九)頃か。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「路通」の意味・わかりやすい解説

路通
ろつう
(1649―1738)

江戸中期の俳人。八十村(やそむら)氏、一説に斎部(いむべ)または忌部(いむべ)氏とも。通称与次衛門。号は露通、呂通とも。出生地については美濃(みの)国(岐阜県)、京都、筑紫(つくし)国(福岡県)の三説がある。漂泊の乞食(こつじき)生活をしていて、1685年(貞享2)ごろ近江(おうみ)(滋賀県)で芭蕉(ばしょう)に対面、以後『おくのほそ道』行脚(あんぎゃ)の帰途には敦賀(つるが)まで迎えに出るなど、しばしば芭蕉に随行して、その俳諧(はいかい)の力量を認められたが、諸事に道義に反するような行為があったため、同門間の評判が悪く、一時芭蕉にも破門された。しかし、芭蕉の最晩年には勘気を解かれ、師の没後には追善に『芭蕉翁行状記』をまとめて師恩に報いている。作風は平明で生活に即した句に秀吟がみられる。編著に『俳諧勧進牒(かんじんちょう)』がある。

[堀切 實]

 鳥どもも寝入つてゐるか余吾(よご)の海

『中村俊定著『路通――常の人路通』(『俳諧史の諸問題』所収・1970・笠間書院)』

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改訂新版 世界大百科事典 「路通」の意味・わかりやすい解説

路通 (ろつう)
生没年:1649-1738(慶安2-元文3)

江戸前~中期の俳人。姓は忌(斎)部(いんべ),また八十村(やそむら),通称は与次右衛門,名は伊紀。美濃,京,筑紫の人など諸説あって未詳。神職の出と伝える。26歳のころから乞食となり諸国を放浪,1685年(貞享2)3月膳所(ぜぜ)の松本で芭蕉に会って入門し,88年江戸に下り,芭蕉庵の近くに住んだ。89年(元禄2)刊《阿羅野》に収める発句9が句の初見。91年ころから,師弟信義を欠くなどの理由で,同門間の反感を買い,芭蕉の勘気をもこうむった。のち臨終の床にある芭蕉から許しを得,それに感じて追善集《芭蕉翁行状記》を編んだ。〈鳥どもも寝入ってゐるか余吾の海〉(《猿蓑》)の句は〈細みあり〉と芭蕉に激賞された。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「路通」の解説

路通 ろつう

八十村路通(やそむら-ろつう)

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世界大百科事典(旧版)内の路通の言及

【細み】より

…去来は〈細みは便りなき句にあらず。……細みは句意にあり〉(《去来抄》)といい,芭蕉が路通の〈鳥共も寝入てゐるか余吾(よご)の海〉という句を〈此句細みあり〉と評したと伝えている。早く中世においては俊成などが〈心深し〉〈心細し〉という評語をしきりに用い,作者の思い入る心の深さ,細さを称美しているが,連歌でも心敬がこれを承けて〈秀逸と侍ればとて,あながちに別の事にあらず。…

※「路通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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