江戸中期の俳人。八十村(やそむら)氏、一説に斎部(いむべ)または忌部(いむべ)氏とも。通称与次衛門。号は露通、呂通とも。出生地については美濃(みの)国(岐阜県)、京都、筑紫(つくし)国(福岡県)の三説がある。漂泊の乞食(こつじき)生活をしていて、1685年(貞享2)ごろ近江(おうみ)(滋賀県)で芭蕉(ばしょう)に対面、以後『おくのほそ道』行脚(あんぎゃ)の帰途には敦賀(つるが)まで迎えに出るなど、しばしば芭蕉に随行して、その俳諧(はいかい)の力量を認められたが、諸事に道義に反するような行為があったため、同門間の評判が悪く、一時芭蕉にも破門された。しかし、芭蕉の最晩年には勘気を解かれ、師の没後には追善に『芭蕉翁行状記』をまとめて師恩に報いている。作風は平明で生活に即した句に秀吟がみられる。編著に『俳諧勧進牒(かんじんちょう)』がある。
[堀切 實]
鳥どもも寝入つてゐるか余吾(よご)の海
『中村俊定著『路通――常の人路通』(『俳諧史の諸問題』所収・1970・笠間書院)』
江戸前~中期の俳人。姓は忌(斎)部(いんべ),また八十村(やそむら),通称は与次右衛門,名は伊紀。美濃,京,筑紫の人など諸説あって未詳。神職の出と伝える。26歳のころから乞食となり諸国を放浪,1685年(貞享2)3月膳所(ぜぜ)の松本で芭蕉に会って入門し,88年江戸に下り,芭蕉庵の近くに住んだ。89年(元禄2)刊《阿羅野》に収める発句9が句の初見。91年ころから,師弟の信義を欠くなどの理由で,同門間の反感を買い,芭蕉の勘気をもこうむった。のち臨終の床にある芭蕉から許しを得,それに感じて追善集《芭蕉翁行状記》を編んだ。〈鳥どもも寝入ってゐるか余吾の海〉(《猿蓑》)の句は〈細みあり〉と芭蕉に激賞された。
執筆者:桜井 武次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…去来は〈細みは便りなき句にあらず。……細みは句意にあり〉(《去来抄》)といい,芭蕉が路通の〈鳥共も寝入てゐるか余吾(よご)の海〉という句を〈此句細みあり〉と評したと伝えている。早く中世においては俊成などが〈心深し〉〈心細し〉という評語をしきりに用い,作者の思い入る心の深さ,細さを称美しているが,連歌でも心敬がこれを承けて〈秀逸と侍ればとて,あながちに別の事にあらず。…
※「路通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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