農業調整法 (のうぎょうちょうせいほう)
Agricultural Adjustment Act
アメリカ合衆国でニューディール政策の一環として1933年5月に制定された農業政策。略称AAA。農業部門の慢性的過剰生産恐慌の事態に直面して,ローズベルト政権は生産削減による価格支持政策に取り組む必要を認め,価格水準の目標として〈平衡価格〉の概念を導入しつつ,〈基本農産物〉(当初,小麦,綿花,トウモロコシ,豚,米,タバコ,ミルクの7項目,後に他の作物も追加)に関し作付割当計画により生産削減の達成を図った。この生産制限策はあくまで農民との任意協定で,強制的なものではなかったが,契約農民には農産物加工税を財源に補償金が支給されたため,一般に大農民層に広く受け入れられる一方,作付制限をするゆとりのない中小農からは不評をかった。36年最高裁判所から違憲判決を受けたが,38年に土壌保全計画を加えるなど手直しをして再度制定され,以後の農業政策の支柱となった。
→ニューディール
執筆者:新川 健三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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農業調整法
のうぎょうちょうせいほう
Agricultural Adjustment Act
アメリカ合衆国のニューディール政策における中心的法律。1933年5月に制定された本法は、その頭文字をとって「AAA」または「三(トリプル)A」とも略称される。同法は販売不振、価格低落に悩む農業の振興のために、作付制限による価格引上げを図った。過剰農産物貯蔵、土壌保全などの名目で生産を削減した農家に補助金を与えた。そのため植え付け済みの農地をつぶし、牛豚をと畜するなど、一方に飢餓に苦しむ失業者のいる状況にかんがみ、矛盾した政策をとって批判された。またそれは大農場に有利で、貧農の脱落、プロレタリア化を進めた。36年補助金源泉などに関して違憲判決を受けたが、その趣旨は後の土壌保全割当法、38年の第二次農業調整法に引き継がれた。
[長沼秀世]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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農業調整法(AAA)(のうぎょうちょうせいほう)
Agricultural Adjustment Act
アメリカのニューディール期の農業政策。1933年恐慌対策の一環として,農産物価格の低落防止のため,農民への補助金の見返りに小麦,綿花など主要農産物の作付け面積を削減し生産統制を図る施策に乗り出す。36年最高裁から違憲判決を受けたが,手直しをして38年第2次農業調整法が成立,以後農産物価格支持政策は恒常化することになった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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農業調整法【のうぎょうちょうせいほう】
Agricultural Adjustment Actの訳。略称AAA。1933年米国で制定されたニューディールの一環をなす法律。農産物価格を高めることを目的とし,小麦,綿,トウモロコシ等の主要作物の作付面積や販売用生産の縮小策をとった。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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農業調整法
のうぎょうちょうせいほう
Agricultural Adjustment Act
世界恐慌に対処するため,1933年に制定されたアメリカのニューディール立法の1つ。略称AAA
農民の救済を企図し,生産制限と過剰農産物の政府買上げなどにより,農産物価格下落の調整,土地低利資金貸付などを行った。1936年に違憲判決を受けたが,分割立法によって実施された。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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