改訂新版 世界大百科事典 「農産物貿易」の意味・わかりやすい解説
農産物貿易 (のうさんぶつぼうえき)
農産物貿易は,農業ないし農産物の社会的・自然的特性に基づき,工業製品の貿易とは異なった特質をもっている。
特質
一般に,生産技術や需要が不変で,生産要素が国内では自由に移動できるが外国への移動はできないなどの条件のもとでは,各国は自由貿易を通して,比較優位をもつ生産物の生産に特化し,それ以外を輸入に依存したほうが経済的に有利である。工業製品では,この比較生産費による国際分業論の前提が比較的満たされるのに対し,農産物ではその前提が満たされない場合,あるいは政治的,社会的に自由貿易の実現が阻止される場合が多い。ここに農産物貿易の特質がある。農産物の多くは食糧として必須欠くべからざる消費財であるが,農業生産は,この食糧供給に加えて,膨大な農山村人口の維持,国土や自然景観の保持という社会的役割を果たしている。また国際的な農産物供給をみると,国内自給を基本とし豊作の年に輸出をする国が多く,恒常的な輸出余力をもつのは自然条件に恵まれた少数の国に限られる。したがって国際的に流通する農産物の量はその生産量に対して僅少であり,また年次的な変動もきわめて大きい。加えて,人口増加や消費水準の向上を考えた場合,世界の長期的な食糧供給力には大きな不安が残されている。以上の農業,農産物の特性に基づいて,農産物貿易には以下の特徴がみられる。まず第1に,農産物貿易政策がさまざまな国内農業保護育成策と結びつけられることである。国際間では自由無差別な貿易体制を目的としてGATT(ガツト)(関税・貿易に関する一般協定。1995年より世界貿易機関(WTO)に発展改組)が結ばれているが,これに違反して,あるいはその例外規定を適用して,農産物に関し輸入割当て,高率関税,輸出補助金,非関税障壁などの政策をとっている国が多い。第2に,二国間・多国間の農産物貿易協定,輸入国が生産国へ進出する開発輸入などにより輸入の長期安定化を図り,かつ国内備蓄を進めるなどの施策がとられることである。第3に,食糧援助や農産物禁輸が国際戦略の武器にされるように,農産物貿易がいやおうなく国際政治に組み込まれていることである。
構造の変化
産業革命とともに穀物輸入国に転じたイギリスは,19世紀半ばに自由貿易体制を確立し,工業製品の輸出,農産物の輸入という貿易構造をつくり出した。1880年代以降,資本主義経済は構造的に変質し,後発国では保護関税も現れるが,新大陸での農業生産の発展および農産物輸送技術の進歩により西欧諸国と新大陸との農産物貿易は著しく増大した。しかし,第1次大戦時の食糧難とその後の工業生産力の相対的低下は,西欧諸国に食糧自給の方向をとらせ,また1929年に始まる大恐慌は自由貿易と国際分業を後退させた。第2次大戦後,戦前のブロック経済化の反省の上に立って自由貿易を基本理念とするIMF-GATT体制がつくられたが,農産物貿易は,南半球の発展途上国が北半球の工業先進国へ輸出する南北貿易ではなく,先進国でありかつ農業大国であるアメリカ,カナダ,オーストラリアなどから他の先進諸国へ,あるいはヨーロッパ共同体(EC)の域内貿易のような先進国間貿易をその基本とするようになった。これは,発展途上国がその増大する農産物需要を上まわるほどの農業生産力の発展を実現しえないでいること,逆に第2次大戦後先進諸国,とくに北アメリカの両国(アメリカとカナダ)で巨大な農業生産力の発展がみられたこと,東西対立の激化のなかでアメリカは政治的な食糧援助を大量に行ったが,それをてこに農産物を輸出の中心品目に押し上げたこと,先進国,中進国での畜産物消費の増大がアメリカの飼料穀物への依存を強めていること,EC諸国が共通農業政策によって食糧の域内自給を維持しようとしていることなどによる。1973年の国際的食糧危機は,それまでの国際需給の過剰傾向を逆転させた。またそれ以来,中ソ両国が西側農産物の巨大なしかし不安定な買手となり,国際需給の不安定性と農産物貿易の政治的性格をより強めた。ただしその後の世界経済の停滞は,消費停滞による農産物国際需給の過剰傾向を再現させ,アメリカなどの大輸出国とEC,日本のような大輸入国との貿易摩擦を激化させた。
1990年代以降,改革開放と経済発展のなかで穀物輸入国に転じつつある中国,21世紀半ばまでに人口で中国を追い越しながら経済発展を進めるものと予想されるインド等での農産物の需要増大を考慮に入れると,21世紀の世界の農産物貿易は逼迫することが予想されている。
日本の農産物貿易
日本経済の高度成長は,一方で農業を踏台にしながら,食生活,衣生活の多様化,高度化を進めた。主食の粉食化,畜産物,油脂,嗜好品などの消費増が小麦,飼料穀物(トウモロコシなど),食肉,大豆,砂糖,葉タバコ,コーヒー豆,麦芽などの輸入を増加させた。また豊富になった被服,身の回り品のための綿花,羊毛,牛皮などの輸入も増大した。その結果日本は,西ドイツ,アメリカに次ぎ,イギリス,フランスと並ぶ農産物輸入国になった。これらの国々とは異なって見るべき輸出農産物をもたない日本は,純輸入額でみると世界一である。この巨大な輸入額が日本の農産物貿易の第1の特徴であるが,第2は,その輸入の過半数がアメリカ,オーストラリア,カナダからであるというように,輸入先が特定国に集中していることである。そしてとくにアメリカとの関係がそうであるように,輸入先とは単なる経済取引をこえた政治関係で結びつけられている。第3の特徴は,日本の農産物輸入が相手国での農産物の生産流通に深くふみ込んだ形で行われていることである。発展途上国からの農産物輸入の多くは,総合商社などが資本と技術を投下した開発輸入であるが,アメリカからの穀物,大豆の輸入においても,総合商社や農業協同組合がカントリーエレベーターや輸出エレベーターの建設に進出している。また牛肉,オレンジ,オレンジジュースなどの輸入自由化をめぐり80年代の日米間の貿易摩擦が生じたが,88年,日米協議で牛肉・オレンジの91年4月からの自由化,オレンジジュースの92年4月からの自由化等が合意,実施された。さらに95年4月からGATTウルグアイ・ラウンドの決定に基づく米の部分開放が始まっている。
執筆者:吉田 忠
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報