日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラディカリズム」の意味・わかりやすい解説
ラディカリズム
らでぃかりずむ
radicalism
思想的には、物事や人間を根源radixにおいて徹底的に把握しようとする立場である。根源主義、根本主義、急進主義、過激主義とも訳される。物事や人間を現象・表象だけで理解する現象主義、暫定的な改良を求める改良主義や妥協主義や保守主義、伝統主義、復古主義に対立する。
以上が通常の意味であるが、広義には、社会、政治、宗教、哲学、思想、芸術における進歩と変革を唱える潮流、たとえばヘーゲルの弟子たちからなるヘーゲル左派、マルクス・エンゲルスらの科学的社会主義、ロシアのナロードニキ主義、レーニンの思想、1970年代以降に出現したフェミニズム、工業化をすべて否定して「自然に帰れ」という自然環境至上主義、自国の民族を至上とみなし「民族純粋化」をめざす「民族浄化主義」等の潮流をも含めて理解する立場がある。また、アメリカでは現状を肯定しないすべての革新的な思想と社会運動が、フランスでは小市民的改良主義が「ラディカリズム」とよばれることが多い。
さらに、アメリカの哲学者、ウイリアム・ジェームズが、自らの哲学を「根本的経験主義radical empiricism」と名づけたように、哲学・宗教思想における「根本主義」「徹底主義」の意味で使われる場合もある。宗教上の原理主義、ファンダメンタリズムも妥協を許さない点でラディカリズムの一潮流とみなすことができる。
このように、時代と国によって「ラディカリズム」ということばは、広義にはきわめて多義的であるが、一般的には、左翼主義的な言辞を弄(ろう)する思想ならびにそれによって指導される小市民的な、主として直接行動に訴える社会運動が多い。
[芝田進午]
その歴史的系譜
このことばが、政治的ラディカリズムの意味ではじめて使われたのは、イギリスでは、1797年、チャールズ・J・フォックスが男性の普通選挙権制度を要求し、これを「ラディカルな改革」とよんだときに由来するといわれる。
19世紀前半以降、アナキズム(無政府主義)、ブランキ主義、サンジカリズム(労働組合主義)の思想と社会運動が生まれ、それ以来、このような傾向がラディカリズムとよばれるようになった。代表的思想家として、M・シュティルナー、P・プルードン、M・バクーニン、P・クロポトキン、G・ソレルらがあげられる。
これらの思想家の影響を受けて、日本においても、20世紀の初め、幸徳秋水によって代表される直接行動主義、大杉栄によって代表される無政府主義の運動が生まれ、日本におけるラディカリズムの最初の潮流になった。この潮流と科学的社会主義の思想と運動の間で論争が行われ、1920年代以降、前者は社会運動のなかで影響力を失うに至った。
[芝田進午]
現代のラディカリズム
第二次世界大戦ののち、先進的資本主義諸国で技術の急速な進歩と経済の高度成長が行われ、それとともに、労働と科学と技術の疎外が進み、労働の単調化、公害、失業の不安、中間階級の没落などの社会問題が深刻化した。これらの社会問題が基盤になって、とりわけ学生のうちに「機械文明」「管理社会化」への反逆の意識が生まれ、1960年代から、これらの現実への反逆として、学生運動を中心にラディカリズムの新しい潮流が出現した。
その代表的思想家ないし運動家としては、欧米におけるH・マルクーゼ、D・コーン・ベンディットDaniel Cohn-Bendit(1945― )、R・ドゥチュケRudi Dutschke(1940―79)ら、日本では羽仁(はに)五郎らがあげられ、ほかにトロツキズム、毛沢東(もうたくとう)主義、ゲバラ主義の思想なども、現代のラディカリズムの諸潮流のうちに一定の影響を及ぼした。
現代のラディカリズムは、社会運動としては、とくに1960年代の後半から70年代の初めにかけて、「ブラック・パワー」「スチューデント・パワー」「全共闘」運動とよばれる形をとり、社会的、政治的、思想的に大きな影響を及ぼし、とくに大学における官僚主義的管理、それを支える「大学管理法」に対する異議申し立ての形で、学生集団による大学の占拠と破壊、街頭デモ、火炎びん闘争などが行われた。その傾向は、今日も一部の大学に存続しており、「極左主義」といわれる潮流になっている。また、これらの潮流とともに、男性一般に対して女性の権利を対置させ、「女性パワー」を主張するウイメンズ・リベレーションwomen's liberation(ウーマン・リブ)も生まれた。
なお、毛沢東が発動した中国の「文化大革命」は、社会主義のもとでのラディカリズムの運動であったということができる。資本主義諸国におけるラディカリズムの諸潮流は、「伝統的左翼」と対立するものとして、しばしば自称・他称で「ニュー・レフト」ともよばれる。
[芝田進午]
ラディカリズムの思想的特徴
ラディカリズムは、一般的にいって、哲学的には主観主義的、主意主義的観念論に基づき、人間の本能、情熱を重視する非合理主義の立場にたつ。さらに、現代のラディカリズムの際だった特徴は、反技術主義、反科学主義である。ラディカリズムは、社会の変革が客観的条件の成熟を前提として、大衆の長期の政治的・組織的運動によって実現されることを認めず、少数の「指導的集団」によって一揆(いっき)主義的に一挙に達成されるかのように幻想する。この点で、ラディカリズムは、エリート主義的であり、ともすると民主主義に敵対する思想的特徴をもつ。
[芝田進午]
現代ラディカリズムの政治的機能
ラディカリズムは、現代社会への「反逆」現象であり、また社会運動、とくに労働運動、学生運動、女性問題などにおける現状肯定的、右翼的傾向に対する反発として出現するが、大衆を思想的に教育し、政治的に高め、民主主義的に組織するのではなく、多くの場合、暴力主義的である。そのことによって、結果的に権力からの弾圧を挑発し、大衆運動を流産させる危険をはらむ。ラディカリズムは、一見革命的にみえるが、しばしば政治的権力にとって支配を維持するための手段とされることもある。
他方、ラディカリズムの右翼的潮流も存在する。具体的には、ファシズムであって、「ラディカル右翼」ともよばれる。議会を通じての政治的・社会的変革に反対し、直接行動で政権を握ることを目ざす点で、ラディカリズムの一潮流であるといえる。
ラディカリズムは、本質的に大衆蔑視(べっし)の思想と運動であるので、左翼主義的言辞を弄していても、右翼的な社会運動に変質することが少なくない。
[芝田進午]
『レーニン著『共産主義内の「左翼主義」小児病』(大月書店・国民文庫)』▽『芝田進午編『現代日本のラディカリズム』(1970・青木書店)』▽『芝田進午著『現代の課題Ⅱ 現代民主主義のために』(1978・青木書店)』▽『加藤典洋著『空無化するラディカリズム』(1996・海鳥社)』▽『山根克也著『ラジカリズムの新世紀』(1998・実践社)』