ある社会の支配的文化に対し,敵対し反逆する下位文化(サブカルチャー)を,一般に対抗文化(カウンターカルチャー)あるいは敵対的文化(アドバーサリー・カルチャー)と呼ぶ。だが現代におけるカウンターカルチャーは,先進産業社会とくにアメリカにおいて,1960年代から70年代初め,すなわち人種問題の激化,ベトナム戦争の拡大,公害問題の深刻化などを背景とする時代に盛りあがりを見せた,青年の反逆現象ないし〈異議申立て〉のなかで生み出された思想,価値体系およびライフスタイルを指す。合理主義と業績主義に価値を置き,効率と豊かさを追求してきた産業社会の〈体制〉から〈ドロップ・アウト〉した若者たちは,H.マルクーゼのいう,いわゆる〈一次元的な抑圧的寛容〉に覆われた社会の期待する〈役割演技〉から離脱することによって,政治的・道徳的・規範的言語に支配された日常世界の外に出る体験を求めた。〈すべてを権威的把握におしこめてしまう言語からの解放の第一歩は,どこかへ行けば言語の外になってしまうような場所があるという実感をもつこと〉(D. ラミス)だったから,マリファナやLSDなどのドラッグによる〈トリップ〉,ロック・ミュージック,サイキデリック・アート,非正統的な諸宗教が空前の流行をよんだ。それらに媒介されて〈拡張された〉意識によって,テクノクラシーのもとで支配的な権威を与えられている〈客観的〉意識から解放された〈著しく個人至上主義的な共同体感覚〉に基盤を置くニューレフト(新左翼),ヒッピー,コミューン生活者によって対抗文化は担われた。
〈対抗文化〉という概念を社会的に確立したローザクTheodore Roszakの《対抗文化の形成》(1968)によれば,その核心にあるのは近代合理主義のもたらした科学的世界観を相対化する,シャーマニズム的な世界観の導入だった。アメリカの文学的遺産からは,文明と物質主義を嫌い,ひとり森に入って〈貧しい生活と高い思索〉を実践した《ウォールデン》のH.D.ソローや《草の葉》で魂と肉体の合一を歌いあげたW.ホイットマンが呼びもどされ,彼らを再評価したビート・ジェネレーションのA.ギンズバーグをはじめとする詩人たちも活躍した。G.スナイダーは,〈革命はイデオロギーの問題ではなくなった。そのかわりに,ひとびとはそれをいま試行しつつある--ちいさな共同体での共産主義,あたらしい家族組織。アメリカで百万人とイギリスとヨーロッパで百万人……〉と書いている(《地球の家を保つには》1969,片桐ユズル訳)。日本での先駆的なグループだった〈部族〉(1967結成)による諏訪之瀬島での共同体にも参加したスナイダーによれば〈つねにヒゲ,長髪,はだし,ビーズだとはかぎらない。しるしはきらきらした,やさしい顔つき,しずかさとやさしさ,いきいきとして気らくな立ち居ふるまい。みんないっしょに時を知らぬ愛と知恵の小道を,空,風,雲,木,水,動物たちと草木を友としながら行こうとする男たち女たち子どもたち--これが部族だ〉(同上)。
こうして,対抗文化は現在の産業社会を支える競争と消費に追われる中産階級のライフスタイルを批判し,それにとって代わるべきオルタナティブな社会を提起する文化的総称の一つとなった。身体のとらえ直し,性の解放,共同体の実験,手仕事の復権,自然との調和,神秘的・宗教的経験の重視など,人間性の全体的回復をうたう広範な主張とともに,個人の自己実現(アイデンティティの獲得)を第一に据えること,すなわち自己の意識,自己の生活様式の変革から社会変革を進めようとする点においてそれは〈意識革命〉ないし〈文化革命〉として特徴づけられる(〈革命〉の項を参照)。70年代中葉から80年代にかけて突出的風俗としては目だたなくなったが,対抗文化の意識は西ドイツの〈緑の人びと(通称〈緑の党〉)〉のようなエコロジー運動にもうけつがれ,女性解放運動,協同組合運動,環境保全-反核運動,有機農法-自然食運動,代替エネルギーや適正技術(AT)の開発,さまざまな健康法や東洋医学の探求など多様な分野の運動体やグループが,産業社会の行きづまりに対抗するもうひとつの社会を模索する〈ネットワーク〉の結びつきを広げつつある。
→サブカルチャー
執筆者:高田 昭彦
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…しかし,生きがい,アイデンティティ,本来的自己の実現などは,後者のなかにおいてしか求められない。このことを,グロテスクに,だが直截に表現したのが〈対抗文化counter culture〉運動である。また,この運動は,人間が無制限な可塑性をもつ順応動物ではなく,自立と統合へと向かう内的潜勢力をもつものであることを示し,人間性を環境決定論の拘束から解放するための一石を投じた。…
… 1960年代末,現代科学に対するあらゆる角度からの批判がいっせいに噴出したが,そのなかで反科学の思想も再評価された。その代表的思想家は,対抗文化countercultureを唱えたアメリカのローザクTheodore Roszak(1933‐ )である。日本では生物学者の柴谷篤弘が独自の〈反科学〉を提唱し,話題を呼んだ。…
…しかし,生きがい,アイデンティティ,本来的自己の実現などは,後者のなかにおいてしか求められない。このことを,グロテスクに,だが直截に表現したのが〈対抗文化counter culture〉運動である。また,この運動は,人間が無制限な可塑性をもつ順応動物ではなく,自立と統合へと向かう内的潜勢力をもつものであることを示し,人間性を環境決定論の拘束から解放するための一石を投じた。…
… 1960年代末,現代科学に対するあらゆる角度からの批判がいっせいに噴出したが,そのなかで反科学の思想も再評価された。その代表的思想家は,対抗文化countercultureを唱えたアメリカのローザクTheodore Roszak(1933‐ )である。日本では生物学者の柴谷篤弘が独自の〈反科学〉を提唱し,話題を呼んだ。…
…しかし,60年代に入り,まず大学生の間に急激に広がったのをきっかけに,ハイ・スクール,さらには中産階級へと普及していった。このマリファナ流行は孤立的現象としてではなく,LSD,コカイン,メスカリン,アンフェタミンなどの薬物流行の一つとして,さらには対抗文化の構成要素の一つとして理解される。つまり,絶えまない競争,業績第一主義,物質至上主義を中心とする支配的なライフスタイルの拒否のあらわれとしてとらえられる。…
… 〈緑〉派をはじめとする〈市民イニシアティブ〉を支える思想の中核には,〈反成長・非成長〉の理念があるといえよう。これは,1960年代末からの対抗文化(カウンター・カルチャー)の浸透と70年代に広がりをみせた資源・エネルギーの浪費と環境破壊への危機感が契機となってつくりだされたものである。1960年代末から70年代にかけての学生運動(SDS)を担った青年たちも,社会民主党(SPD)に加入して各地域の末端でエコロジー運動を実践していたが,70年代後半にSPDを脱党して〈緑〉派の一翼を形成した。…
※「対抗文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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