日本大百科全書(ニッポニカ) 「近代写真」の意味・わかりやすい解説
近代写真
きんだいしゃしん
写真史における近代写真の概念は、写真の歴史が浅いため、20世紀初頭から1920年代までの諸傾向をさしている。したがって、美術史における近代美術の時代概念とは異なる。19世紀の写真は、一部を除いてほとんど同時代絵画諸派の様式に追従し、いわゆるピクトリアル・フォトグラフィ(絵画的写真)が主流をなしていた。しかし20世紀に入ると写真独自の芸術的自立が自覚されだし、とくにアメリカのアルフレッド・スティーグリッツの提唱した「ストレート・フォトグラフィ」、つまり、絵画的手法や絵画美に頼らず、カメラの機能と印画の独自の質を生かした表現を目ざす考え方が、近代写真の理念的基礎となったと考えるのが妥当である。これは、20世紀初頭の絵画革命の波であった純粋造形化への志向の、写真的なアプローチを意味していた。
他方ドイツを中心にしたヨーロッパの写真も、アバンギャルド芸術運動に呼応し、まず即物的な客観描写を試みるアルバート・レンガー・パッチュ(1897―1966)のノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)や、ワルター・グロピウスの主宰するバウハウスに拠(よ)って、「光の造形」という観点からさまざまな実験的技法を切り開いたモホリ・ナギらの1920年代の活動が近代写真確立の大きな原動力となった。なお日本では、ヨーロッパの写真の新しい波を「新興写真」の名称で一括してきた。
いずれにしても近代写真は、新しい美術の諸潮流に刺激され、写真の表現的可能性に挑戦しつつ、写真の芸術としての自立を模索したのであった。この近代写真を特徴づけるものに二つの方向がある。一つは、スティーグリッツの流れをくんで、カメラによる機械的リアリズムを追究したエドワード・ウェストンを中心とする「f」グループ(大型カメラのピントの最小絞りがF64であるところから、鮮鋭な描写を指向するグループ名。アンセル・アダムズらがいる)の流れである。スティーグリッツ自身は1902年、新しい芸術写真を展開するためにフォト・セセッション運動をおこし、写真展や機関誌『カメラ・ワーク』(1903)を始めた。この運動の影響も大きく、エドワード・スタイケンら数多くの俊秀を輩出している。
もう一つはいわゆる新興写真の流れで、新即物主義の客観的リアリズムが、後のルポルタージュ・フォト(報道写真)に発展して、グラフ・ジャーナリズムの基礎を形成したし、構成主義の考え方にたつモホリ・ナギのさまざまな実験的技法は、近代デザインや後の広告・宣伝写真に甚大な影響を及ぼした。日本の近代写真は、新興写真の直接的な翻訳的表現から出発したが、真に自立するのは第二次世界大戦後になってからである。いずれにしても、近代写真は20世紀写真全体の流れの出発点となった写真表現理念といえよう。
[重森弘淹]
『バーモント・ニューホール著、佐倉潤吾・永田一脩訳『写真の歴史』(1956・白揚社)』▽『伊奈信男著『写真・昭和五十年史』(1978・朝日新聞社)』