近衛家煕
このえいえひろ
(1667―1736)
江戸中期の公卿(くぎょう)。関白基煕(もとひろ)の子。母は後水尾(ごみずのお)天皇の皇女常子内親王。関白、摂政(せっしょう)、太政(だいじょう)大臣、准三宮(じゅさんぐう)を歴任。1725年(享保10)落髪して法名を真覚といい、予楽院(よらくいん)と号した。吾楽軒(がらくけん)、昭々堂主人、虚舟子などの別号もある。学問を好み、詩歌、書、茶の湯、立花など諸芸に通じ、その博学、多識ぶりは侍医山科道安(やましなどうあん)が家煕の言行を集録した『槐記(かいき)』(11巻)にうかがえる。ことに書においては平安朝の上代様(じょうだいよう)の復興を志向した能書家として大成した。賀茂祠官で大師流の藤木生直(ふじきなりなお)、近衛家家臣の寺田無禅(むぜん)に書法を学んだとも伝えるが、習書法の中心は近衛家に伝わった和漢の古名跡の臨模にあった。陽明(ようめい)文庫に伝存する『予楽院模写手鑑(てかがみ)』には「喪乱帖(そうらんじょう)」「久隔帖(きゅうかくじょう)」「寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)」「継色紙(つぎしきし)」など225枚が収められ、日ごろの鍛練ぶりがうかがえる。
[神崎充晴]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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近衛家煕 (このえいえひろ)
生没年:1667-1736(寛文7-元文1)
江戸中期の公卿。関白基煕の男,母は常子内親王。号は虚舟。法号予楽院。権大納言,右大臣などを経て,1704年(宝永1)左大臣,07年関白となる。さらに09年摂政,10年太政大臣となる。25年(享保10)12月24日出家し,真覚と号す。すこぶる文を好み,書をよくし,また茶の湯などにも精通し,博学多識ぶりは,その言行を筆録した侍医山科道安の《槐(かい)記》にうかがえる。
執筆者:橋本 政宣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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近衛家煕【このえいえひろ】
江戸中期の公卿(くぎょう),書家。関白,摂政,太政大臣を経て,准三后となり,剃髪(ていはつ)して真覚(しんかく)予楽(よらく)院と号した。書は初め賀茂流を学び,のち家伝の古名跡に習って和様の書人として一家を成した。代表作に楷書(かいしょ)《秋声賦》,草書《千字文》など。博学で,画,茶,花などにも通じており,そのことは侍医山科道安(やましなどうあん)の記した家煕の言行録《槐記(かいき)》にうかがえる。→千字文
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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近衛家煕
このえいえひろ
[生]寛文7(1667).6.4. 京都
[没]天文1(1736).10.3. 京都
江戸時代中期の公家,書家。基煕の子。宝永4 (1707) 年関白,同6年摂政,同7年太政大臣。享保 10 (25) 年仏門に入り,予楽院と号した。礼典,詩歌,茶花の道にも通じた。書は御家流 (→青蓮院流 ) の和様書道に満足できず,藤原行成の書風に傾倒しその再興に努めたが,自運よりも臨書が巧みであった。主要作品『万代帖』『丹い箴 (たんいしん) ,防微箴』。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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近衛家煕 このえ-いえひろ
1667-1736 江戸時代前期-中期の公卿(くぎょう)。
寛文7年6月4日生まれ。近衛基煕(もとひろ)の子。母は常子内親王。宝永4年(1707)関白,氏長者となり,摂政をへて,7年太政大臣。従一位。享保(きょうほう)10年(1725)准三宮(じゅさんぐう)となるが,同年出家。有職(ゆうそく)故実に通じ,和歌,書画,茶道などにもすぐれた。元文元年10月3日死去。70歳。号は予楽院,吾楽軒など。日記に「家煕公記」,画集に「花木真写」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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近衛家煕 (このえいえひろ)
生年月日:1667年6月4日
江戸時代中期の公家
1736年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の近衛家煕の言及
【書】より
…宸翰としては後水尾天皇や霊元天皇に和歌懐紙など伝存するものも少なくないが,学殖豊かな風格は争えないものがある。三藐院の4代後の近衛家熙(いえひろ)(1667‐1736)は予楽院と号し,博学多識の学者であり,書は平安時代の仮名に習熟し,江戸時代を通じて古典を再現した第一人者であろう。 近世の書道史上に忘れてならないのは中国明人の来朝である。…
※「近衛家煕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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