退休寺(読み)たいきゆうじ

日本歴史地名大系 「退休寺」の解説

退休寺
たいきゆうじ

[現在地名]中山町退休寺

退休寺集落の南方に位置。金龍山と号し、曹洞宗本尊聖観音。伯耆札第二〇番札所。伯耆における曹洞宗進出の中心となった寺院で、源翁(玄翁)心昭によって開かれたとされる。「日本洞上聯灯録」や「伯耆民談記」などによると、能登総持寺二代峨山韶碩の弟子源翁は、美作国高田たかた(現岡山県勝山町)化生かせい寺を開き、次いで伯耆に移り岩井垣いわいがき城主篦津豊後守平忠敦(敦忠)帰依を得て、延文二年(一三五七)に当寺を開いたという。至徳三年(一三八六)には後小松天皇の勅使が遣わされて紫衣および金龍山の勅額が授与され、応永二年(一三九五、応永三年ともいう)源翁が死去すると、大寂法主能照禅師号が贈られた(鳥取県史)。当寺には塔頭として慶聚けいしゆう西来さいらい大慈だいじ普門ふもん林松りんしようの五院があり、うち慶聚院・西来院が有力であった。

退休寺
たいきゆうじ

[現在地名]春日井市大泉寺町

した街道を大泉寺だいせんじ新田に入り坂を三〇〇メートルほど登った右側にある。賜恩山と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば創建は正保元年(一六四四)で、開基は藩士小野沢吉清。開山高岳こうがく(現名古屋市)二世念誉である。

吉清は徳川義直の付家老で、光友のお守役を務めた。慶安三年(一六五〇)義直の死後、定光じようこう(現瀬戸市)の廟所が常に拝めるように、恩賞の隠居所を東向きの寺とした。光友より寛文一一年(一六七一)寺号、元禄八年(一六九五)寺領三〇石を与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「退休寺」の解説

退休寺

鳥取県西伯郡大山町にある曹洞宗の寺院。山号は金龍山。1357年創建。九尾の狐の化身殺生石を砕いた玄翁(源翁)による開山とされる。

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