日本大百科全書(ニッポニカ) 「透彫り」の意味・わかりやすい解説
透彫り
すかしぼり
金属、石材、木材、陶磁器、皮革、象牙(ぞうげ)、玉(ぎょく)、貝殻などの材料をくりぬいて文様を表す技法。籠目(かごめ)細工ともいわれ、おもに装飾のために用いられる。地透しと文様透しの2種あり、地透しは文様を残して地を切り透かし、文様透しは逆に地を残すものをいうが、総体に地透しが多い。
[原田一敏]
東洋
中国では透花(とうか)と称してその歴史は古く、殷周(いんしゅう)代(前16~前8世紀)の青銅器にすでに空想動物をモチーフとする装飾や把手(とって)などがみられ、のちに仏教美術にも多く取り入れられている。戦国から漢代にかけては玉器の加飾に多く用いられており、明(みん)・清(しん)代には木材の大作が盛んとなり、罩(とう)(室内の間仕切り)、軒飾りの掛落(けらく)などにも多く試みられた。また同時に素材も多様になり、繊細巧緻(こうち)な技法を駆使して明清工芸の一特色ともなり、多彩な展開をみせた。
朝鮮では、三国時代(4~7世紀)の古墳出土品のなかに流麗な透彫りを施した金冠や馬具などがあり、高度な技術と文化のあとがうかがえる。
[原田一敏]
日本
古墳時代の刀剣の鐔(つば)、馬具、装身具などに作例があり、国宝の金銅透彫鞍金具(すかしぼりくらかなぐ)(大阪・誉田(こんだ)八幡宮)、金銅馬具(東京・五島(ごとう)美術館)などにも新羅(しらぎ)文化の影響がみられる。古代には、文様の輪郭に沿って地金に小穴をあけ、穴と穴との間を鏨(たがね)で切り抜き、鑢(やすり)で仕上げる方法がとられたが、近世以降は糸鋸(いとのこ)で切り透かすようになった。国宝に指定されている飛鳥(あすか)時代の金銅透彫灌頂幡(かんじょうばん)(東京国立博物館)や平安時代の金銀鍍透彫華籠(きんぎんとすかしぼりけこ)(滋賀・神照寺)、金銅迦陵頻伽文華鬘(かりょうびんがもんけまん)(岩手・中尊寺)など、仏具に優れたものが多い。文様透しの遺例は少ないが香炉の蓋(ふた)や釣灯籠(つりどうろう)の火袋、刀の鐔などにみられ、室町時代の鉄釣灯籠(重文、奈良国立博物館)の火袋はみごとである。
透彫りは、室町・江戸の刀の鐔にも精巧な技術の冴(さ)えにみるべきものが多く、各地で特色ある作風を展開した。木彫では欄間(らんま)、蟇股(かえるまた)、衝立(ついたて)、家具調度にも多用され、石材は主として灯籠の火袋に、玉(ぎょく)、象牙、サンゴなどは根付(ねつけ)やかんざしなど装身具の彫りに多い。
[原田一敏]
西洋
古い作例は紀元前1500年ごろの古代エジプトにみられ、青銅の容器、敷物、家具などに使われている。また前600年ごろのスキタイ美術においても、青銅や金などを素材にした遺品を残している。象牙では6~12世紀ごろまでのビザンティン美術に高度な技術がみえ、イスラムにも優れた透彫り装飾が残されている。西欧ではカロリング朝、オットー朝などの時代の教会で使われた道具の装飾金具に多い。14世紀以降は教会から要請のあった大型の帯状金具や、看板、ドアの打金などに使われ、また金属の透彫りの部分にエマイユを充填(じゅうてん)する方法も用いられた。19世紀に入ると鋳造の鉄製透彫りがつくられるようになった。
[鹿島 享]