連合国共同宣言(れんごうこくきょうどうせんげん)
Joint Declaration by the United Nations
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連合国共同宣言
れんごうこくきょうどうせんげん
Joint Declaration by United Nations
太平洋戦争開始後まもない1942年1月1日、ワシントンで、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中国など26か国の連合国により署名された宣言で、基礎的指導原理である大西洋憲章の原則を取り入れ、日本、ドイツ、イタリアの枢軸(すうじく)国に対する徹底的な戦争遂行と、単独不講和・不休戦を誓約したもの。この共同宣言で、各署名国は、枢軸国に対する勝利が「生命、自由、独立、宗教的自由」および「人類の権利と正義」の保持のために不可欠であることを前文で宣言し、さらに、枢軸国に対し、全資源を投入して戦うこと、単独講和または単独休戦を行うことなく協力しあうことを誓約した。その後、45年3月までにさらに21か国が署名し、この宣言の署名国であることが、国際連合の原加盟国となる資格の一つとなった。
[香西 茂]
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「連合国共同宣言」の意味・わかりやすい解説
連合国共同宣言【れんごうこくきょうどうせんげん】
1942年連合国26ヵ国が発表した宣言。第2次世界大戦の戦争目的を述べ,ファシズム諸国と徹底的に戦い,各国が単独で休戦または講和しないことを明らかにした。連合国the United Nationsという言葉は,この宣言で初めて正式に使用された。
→関連項目国際連合
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連合国共同宣言(第二次世界大戦)
れんごうこくきょうどうせんげん
1941年12月に連合国側26か国が戦争目的と結束を示した宣言
対日開戦後の1941年12月に米英は枢軸国側に対して共同宣言を発表することを決め,翌1月1日にワシントンに米英ソ中をはじめ26か国の代表が集合して共同宣言に署名した。ここでは大西洋憲章に賛同し,全署名国が枢軸国に対して単独講和せず,戦い抜くことを誓約した。この共同宣言の署名国が増え続けて,国際連合の原加盟国になった。また,ここで表記された連合国を表す「United Nations」が国際連合の表記になった。
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世界大百科事典(旧版)内の連合国共同宣言の言及
【国際連合】より
…
【成立過程と構成国】
[成立過程]
国際連盟(以下連盟と略記)が第1次大戦後パリの講和会議において戦後処理の一環として設立されたのに対して,国際連合(以下国連と略記)の創設の歴史は第2次大戦中にさかのぼる。1942年1月,日独伊の枢軸国と交戦した米,英,ソを中心とする26ヵ国が,アメリカの首都ワシントンで〈連合国共同宣言〉に署名し,枢軸国に対する戦争遂行の決意を新たにし,団結を誓った。今日国連を意味する〈United Nations〉という言葉は,第2次大戦中の一方の交戦者である反枢軸国陣営,すなわち〈連合国〉を指す名称として,このとき初めて用いられたのである。…
【太平洋戦争】より
… これに対し米英両国首脳は,41年8月12日に領土不拡大,政治形態の自由選択権の尊重,平和の確保,侵略国の武装解除などを定めた[大西洋憲章]に署名し,9月24日にはソ連など15ヵ国が参加を表明した。次いで太平洋戦争勃発直後の42年1月1日,米英ソ中4ヵ国代表は,自由と人権の擁護,ファシズム諸国の打倒などを内容とする連合国共同宣言を発表した。これにはのちに52ヵ国が参加し,ここに反ファッショ連合が正式に結成された。…
※「連合国共同宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」