小説家。大正4年2月15日福岡市生まれ。熊本の第五高等学校を経て1940年(昭和15)東京帝国大学国文科を卒業。その前年に処女作『風宴(ふうえん)』を『早稲田(わせだ)文学』に発表している。これは青春の暗い焦燥を梶井(かじい)基次郎ふうの心象風景として刻みつけた佳作である。42年、陸軍に召集されて対馬(つしま)重砲隊に赴いたが、病気のため即日帰郷となる。この前後、東京市教育局や東芝に勤務し、いくつかの短編を書いた。44年、今度は海軍に召集されて暗号特技兵となり、敗戦まで九州の陸上基地を転々とする。45年、復員の直後に『桜島』を書き上げ、翌年9月、浅見淵(ふかし)の紹介で季刊誌『素直(すなお)』創刊号に発表。この一作の成功で野間宏(のまひろし)、椎名麟三(しいなりんぞう)と並んで一躍戦後派文学の代表的存在となった。戦争ものには、ほかに『日の果て』(1947)、『B島風物誌』(1948)、『ルネタの市民兵』(1949)などがある。もともと梅崎は人間心理の暗闘を軽妙に描くのに巧みな作家で、この市井事ものの系列には『蜆(しじみ)』(1947)、『輪唱』(1948)、『黄色い日々』(1949)などがあり、さらに洒脱(しゃだつ)なユーモアが加わった『Sの背中』(1952)、『ボロ家の春秋』(1954)は広範な読者層の評判をよび、後者では直木賞を受賞した。その後も『砂時計』(1955)で新潮社文学賞、『狂い凧(だこ)』(1963)で芸術選奨を受けるなど活躍が期待されたが、58年ごろからの心身不調に加えて過度の飲酒による肝硬変のため、昭和40年7月19日没。遺作『幻化(げんか)』(1965)は毎日出版文化賞を受けた。
[古林 尚]
『『梅崎春生全集』全7巻(1966~67・新潮社)』▽『『梅崎春生全集』7巻・別巻1(1984~88・沖積舎)』▽『中井正義著『梅崎春生論』(1969・虎見書房)』▽『梅崎恵津他著『幻化の人』(1975・東邦出版社)』▽『梅崎光生著『幽鬼庵雑記』(1977・永立出版)』
昭和期の小説家
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小説家。福岡県出身。旧制五高をへて1940年東大国文科卒。在学中に短編《風宴》(1939)を発表したが,44年に海軍に召集され敗戦をむかえる。軍隊生活に取材した《桜島》(1946)によって戦後の文学活動を開始し,《日の果て》など戦争をえがいた作品で新時代の作家としての地位を確立した。梅崎の時代への態度は,正義をかかげて戦争を批判する立場とはちがって,私的体験と日常性を重くみる。この立場はのちに登場する〈第三の新人〉と共通し,しばしば〈第三の新人〉の先駆者とされる。日常生活の危機を軽妙にえがく作風を通して《ボロ家の春秋》(1954,翌年直木賞受賞),《砂時計》(1955)などが書かれた。その後,広い作家活動をつづけたが,健康の不調で63年には吐血し,65年にいたって,戦中から戦後にまたがる自身の歩みを定着した《幻化(げんか)》を遺作として,同年7月19日に死去。
執筆者:磯田 光一
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