日本大百科全書(ニッポニカ) 「過疎問題」の意味・わかりやすい解説
過疎問題
かそもんだい
人口の著しい減少で生じる社会問題。1950年代以降、日本経済の高度成長の過程で、地方から三大都市圏へと人口が大量に移動した結果、都市地域では人口の集中による過密問題が発生する一方、農山漁村地域においては人口の急激な減少によって過疎問題が引き起こされた。1970年(昭和45)に制定された「過疎地域対策緊急措置法」では、過疎地域を「最近における人口の急激な減少により地域社会の基盤が変動し、生活水準及び生産機能の維持が困難となつている地域」と定義している。同法は当初10年間の時限立法として制定されたが、いまだ過疎問題の解決には至っていないため、10年ごとに改定されながら、現在では第四次の過疎法である「過疎地域自立促進特別措置法」(2000~2009年度、2010年に改正され、2015年度まで6年間延長)の下、過疎地域市町村、関係都道府県、国の3者によって過疎対策事業が取り組まれている。過疎地域の指定要件としては、2006~2008年度の財政力指数(基準財政収入額を基準財政需要額で除した数値の過去3年間の平均値)が0.56以下であり、人口について、(1)1960~2005年(平成17)の人口減少率(45年間人口減少率)が33%以上、(2)45年間人口減少率が28%以上かつ2005年の高齢者比率(65歳以上)29%以上、(3)45年間人口減少率が28%以上かつ2005年の若年者比率(15歳以上30歳未満)14%以下、(4)1980~2005年の人口減少率が17%以上、のいずれかに該当することとされている。
2011年4月時点で、過疎地域市町村の全国に占める比率は、市町村数で44.9%、人口で8.7%、面積で57.2%に達しており、その大部分は山村、離島、豪雪地帯、かつての産炭地と重なり合っている。全国の高齢者比率が20.1%であるのに対し、過疎地域では30.6%と高い一方で、若年者比率は17.4%に対し12.9%と低くなっている。近年では人口減少自体は鈍化しているものの、1980年代後半以降、過疎地域全体を通じて人口は自然減少(出生者よりも死亡者数が多い状況)に転じている。すなわち、1960年代の都市圏への就職離村等に伴う若年者人口の社会減少(転入者数よりも転出者数が多い状況)から始まった過疎化は、この時期を境に社会減少と自然減少の同時進行という段階を迎え、現在では高齢化の著しい進行とともに地域の持続そのものが危ぶまれる事態となっている。
総務省の「過疎地域等における集落の状況に関する現況把握調査」(2010年度)によれば、過疎地域等における6万4954集落のうち、高齢者比率が50%以上の集落は1万0091集落と報告されている。また、同調査における市町村アンケートの回答からは、454集落が今後10年以内に消滅するおそれがあり、2342集落がいずれ消滅するおそれがあると予測されている。農林業生産を通じた地域資源の保全や管理、集落生活に欠かせない冠婚葬祭など、人々の暮らしと生産に重要な役割を果たしてきた集落機能が、山村を中心とする国土の広汎な地域で弱体化しつつあることを示しており、そこでの生活が困難になるだけでなく、地域に受け継がれてきた伝統的祭礼や民俗芸能といった地域文化の喪失も懸念される状況にある。さらに、耕作放棄地や放置林の増大等による地域資源の荒廃は、鳥獣害の発生、国土保全機能や水源涵養(かんよう)機能の低下による土砂災害発生の危険性の増大など、周辺や下流域にも悪影響を及ぼしつつある。
一連の過疎立法に基づく過疎対策事業としては、この40年間に約86兆円が投じられている。これら事業の分野別実績をみると、当初は、交通通信体系の整備が過半を占めていたが、過疎地域活性化特別措置法(1990~1999年度)以降そのウェイトは若干低下し、産業の振興、生活環境の整備、高齢者等の保健および福祉の向上および増進、のウェイトが上昇する傾向にある。また2010年からの改正過疎法においては、従来からの基盤整備(ハード事業)に重点を置いた財政支援に加え、地域医療の確保、生活交通の確保、集落の維持および活性化など、住民の安全・安心な暮らしの確保に資するソフト事業が過疎対策事業の対象として追加されることとなり、過疎地域における人材育成、集落支援員などの人的支援、地域活動団体等に対する運営費補助など、新たな取り組みが始まっている。
[大浦由美]
『大野晃著『限界集落と地域再生』(2008・高知新聞社)』▽『小田切徳美著『農山村再生――「限界集落」問題を超えて』(2009・岩波書店)』▽『中嶋信編著『集落再生と日本の未来――持続できる地域づくり』(2010・自治体研究社)』