道志村(読み)どうしむら

日本歴史地名大系 「道志村」の解説

道志村
どうしむら

[現在地名]道志村 月夜野つきよの大渡おわた野原のはら久保くぼ笹久根ささくね大室指おおむろざす椿つばき小善地こぜんじ大栗おおぐり馬場ばんば竹之本たけのもと和出村わでむら谷相やそう川原畑かはらはた大指おおざす釜之前かまのまえ神地かんじ善之木ぜんのき川村かわむら板橋いたばし白井平しらいだいら長又ながまた

南は丹沢たんざわ山系で相模国足柄上あしがらかみ世付よづく(現神奈川県山北町)、南東は大室おおむろ(一五八七・六メートル)連峰で同郡中川なかがわ(現同上)、同国津久井つくい青根あおね(現同県津久井町)、同郡牧野まぎの(現同県藤野町)、北は赤鞍あかぐらヶ岳(一二九九メートル)秋山あきやま(現秋山村)、北西は御正体みしようたい(一六八一・六メートル)連峰で菅野すがの村・鹿留ししどめ(現都留市)などと境する。北東流する道志川沿いの約六里半にわたる東西に長い村で、俗に「道志七里」といわれる。集落は同川が形成した河岸段丘上に散在する。川沿いに走る道は東は津久井方面に至り、当村の林産品は相模川河岸の荒川あらかわ番所(現津久井町)を経て同川を下った。西は西端の山伏やまぶし峠を越えて平野ひらの(現山中湖村)に至り、さらには駿河国御殿場へと通じた。甲相の国境に近い月夜野には口留番所が享保年中(一七一六―三六)まであった。

文禄―慶長期(一五九二―一六一五)のものと推定される四郡高〆控に「たうし村」とみえ、高一三〇石。

道志村
どうしむら

面積:七九・五七平方キロ

郡の南東部に位置する。南は丹沢たんざわ山系、北西は御正体みしようたい(一六八一・六メートル)連峰、北は赤鞍あかぐらヶ岳(一二九九メートル)、南東は大室おおむろ(一五八七・六メートル)連峰に囲まれ、相模川の支流道志川沿いに約二六キロにわたり東西に長く村域が広がる。東は神奈川県津久井つくい藤野ふじの町・津久井町、西は山中湖やまなかこ村に接し、南は神奈川県足柄上あしがらかみ山北やまきた町、北は都留市に接する。北東に流れる道志川に沿って国道四一三号が走る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「道志村」の意味・わかりやすい解説

道志〔村〕
どうし

山梨県南東部,相模川の支流道志川流域にある村。丹沢山地北部の山嶺に囲まれ,道志川に沿って集落が点在する。地名は古代の律令制下の官名に由来するといわれる。林業,観光業が主体で,クレソンなどの栽培も行なわれる。釣り場,峡谷美にも恵まれ,民宿も多い。道志川に沿って国道 413号線が通る。面積 79.68km2。人口 1607(2020)。

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事典 日本の地域遺産 「道志村」の解説

道志村

(山梨県南都留郡道志村)
日本で最も美しい村」指定の地域遺産。
道志村は山梨県の東南端に位置する。「道志七里」と呼ばれる村の自然風景をはじめ、源頼朝が射抜いたという伝説が残る道志川の花こう岩「的様(まとさま)」、江戸時代から伝わる伝統芸能「おきゅうだい」などの地域資源を有する。1897(明治30)年横浜市による道志川からの取水が始まり、横浜市民の水源として知られる

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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