一般民家が副業としてその遊休部分を旅行者に提供する廉価な宿泊施設。旅館やホテルと比べて規模が小さく,施設内容も簡素であるが,地場の産物による家庭料理や家族労働による親しみやすいサービスを特色としている。現在日本では,宿泊業を営む場合,公衆衛生の維持を目的とする旅館業法によって,都道府県知事の許可を受けなければならない。しかし同法に〈民宿〉の規定はなく,多くは同法第2条にある〈簡易宿所営業〉の許可によっている。現在日本全国にどのくらい民宿があるかは,特定の季節のみ営業するものが多く,正確にはわからないが,約2万5000軒といわれる。観光客の来訪が特定の季節に集中するような場所,あるいは本格的な宿泊施設の経営が可能なほどの観光客の入込みを期待できない場所に多い。民宿がいつ誕生したかも不明だが,大正末期から昭和の初めに長野県白馬村,房総半島の館山,伊豆半島南部,あるいは若狭湾の高浜などで,登山,スキー,海水浴客などを対象として生まれたといわれる。いずれも農山漁村において,第1次産業以外の収入源確保を目的として開業し,1960年代以降の高度成長期に旅行ブームを背景として急増した。その後,旅行需要が多様化するなかでテニス民宿などの新しい型も登場し,現在では通年営業で専業形態の民宿も多くなっている。
民宿と同じような性格をもつ宿泊施設として,ペンションpensionと呼ばれる施設がある。ペンションとはヨーロッパ,とくにスペイン,イタリア,ドイツなどで多くみられる宿泊施設であるが,家族経営による小規模なもので,家庭的なもてなしと廉価であることを特色としている。こうしたヨーロッパのペンションにヒントを得て,1968年に群馬県草津で開業した綿貫ペンションが日本でのペンション第1号とされる。その後,ペンションの経営指導と援助を行う企業の積極的な活動によって,82年までに1000軒を超えるペンションが誕生した。民宿との違いは,施設が新しく洋式であること,夫婦2人を中心とする家族労働であるが,民宿のように兼業でなく専業であり,季節営業でなく通年営業であること,さらに,都市のサラリーマンが転職して経営者となることが多いことなどである。ペンションの多くは長野県に集中しており,昔からの有名観光地ではなく,その周辺や自然環境の優れた高原などに立地し,スキーやテニスなど,スポーツに便利である場合が多い。20代の女性の小グループが利用者の中心で,料金制度は1泊2食付きの旅館形式であるが,料金は旅館と民宿の中間,施設,設備のデザインや料理は若者の好みに合わせてある。ペンションがこのように急増したのは,旅行需要が73年の〈石油危機〉後,それまでの画一的で受動的なものから,多様で個性的,能動的なものへと変化しつつあるという質的変化に対応した動きとみることができる。
執筆者:岡本 伸之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
民家が副業として部屋の遊休部分を観光旅行者に提供する宿泊施設。旅館やホテルと比べて規模が小さく、施設内容も簡素であるが、比較的低料金で、地場の産物による家庭料理や家族労働による親しみやすいサービスが特色といえる。旅館業の公衆衛生の維持を目的とする旅館業法には民宿の概念がなく、ホテルや旅館よりも規制の緩い「簡易宿所営業」の許可を受けて民宿の看板を掲げる場合が多い。民宿は、夏の海水浴、冬のスキー、登山、釣りなど、特定の季節や目的に対応する場合、あるいは通年営業の本格的な宿泊施設の経営がむずかしい場合などに多い。料理を売り物にしたいわゆる「料理民宿」や、学生の合宿需要に対応して施設利用の便宜を図るなどしている民宿のなかには、経営が安定したものもある。
民宿がいつ誕生したか定かでないが、大正末期から昭和の初めに長野県白馬村、房総半島の館山(たてやま)、伊豆半島南部、あるいは若狭(わかさ)湾の高浜などで誕生したといわれる。いずれも農山漁村において、第一次産業以外の収入源確保を目的とし、1960年代以降の高度成長期に旅行ブームを背景として急増した。
[岡本伸之]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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