道林寺(読み)どうりんじ

日本歴史地名大系 「道林寺」の解説

道林寺
どうりんじ

[現在地名]小矢部市中央町

真宗大谷派。松長山と号し、本尊阿弥陀如来。寿永元年(一一八二)蓮沼はすぬま(近世の道林寺村)に開創された真言宗聖寿しようじゆ院が前身と伝え、承元元年(一二〇七)当時の住持が越後流罪の途上親鸞に帰依し、一向宗に改めたという(「五尊裏書并御免状等書上帳」善徳寺文書)松永まつなが庄内にあって松永道林寺とも称され、蓮如が越前吉崎よしさき滞在の折、一〇代松長(松永)慶順が参じ、親鸞絵像を拝領


道林寺
どうりんじ

[現在地名]鶴岡市大山三丁目

大山の北部、旧ほん町の浜街道沿いにある。覚英山と号し法華宗、本尊は久遠常住輪円具足の南無妙法蓮華経である。初め妙昌みようしよう院といい、天正四年(一五七六)真言僧全覚により開かれ、文禄三年(一五九四)越後国蒲原かんばら郡の日蓮宗長久山本成ほんじよう(現新潟県三条市)九世日覚により改宗、寺号を妙照みようしよう寺に改めたという(大山町史)。また郷政録(大山区有文書)には文禄三年五月住善院日性の開基とある。寛文四年(一六六四)大山藩主酒井忠解初入部後菩提寺に取立てられ、柳原新田やなぎわらしんでん村に寺領二三石余を寄進された(「柳原新田検地帳」柳原区有文書)


道林寺
どうりんじ

[現在地名]御津町中山

中山なかやまの集落南東端にあり、臥竜山と号し、日蓮宗、本尊は一塔両尊四士。もと京都妙覚みようかく(現上京区)末。金川かながわ村の金川城内道林寺丸にあったが、永禄一一年(一五六八)金川城が落城し、城主松田氏が滅亡したのち当地に再興された。開基は松田左近将監元方、開山は大覚。寺号は元方の法号恭愍院殿道林日覚大禅定門による。日蓮宗の備前四大寺の一つで、末寺三八ヵ寺を有していたが、寛文年中(一六六一―七三)の岡山藩による寺院淘汰によって末寺はすべて廃寺となり、元禄一一年(一六九八)には岡山城下町の蓮昌れんじよう寺の支配寺となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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