道興(読み)どうこう

改訂新版 世界大百科事典 「道興」の意味・わかりやすい解説

道興 (どうこう)
生没年:1430-1501(永享2-文亀1)

室町時代の京都聖護院門跡。後知足院左大臣近衛房嗣の子で大僧正,法務,准三后となり,新熊野検校(いまくまのけんぎよう)を兼ねた。1486年(文明18)6月から約10ヵ月間旅に出て,その紀行文を《廻国雑記》にまとめた。京都から大原越えで若狭越前を通り,北陸路は白山立山,石動(いするぎ)山へも立ち寄りつつ関東に出,武蔵では浅草寺,忍ヶ岡,小石川,隅田川を訪れ,また日光中禅寺,常陸筑波山,鎌倉鶴岡八幡宮,建長寺,円覚寺,称名寺の諸寺,相模大山寺,安房清澄山,甲斐猿橋などを精力的に見物し,足を奥州へ延ばし白河関を越え,藤原実方の墓,松山,宮城野松島を訪れ名取川に至った。文中和歌漢詩連歌俳諧を多く挿入し教養のほどを示している。当時足利義政は聖護院はじめ青蓮院,実相院,三宝院など密教の門跡僧を護持僧として盛んに加持祈禱させ,道興に対してもあつい帰依を寄せていた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「道興」の解説

道興(2) どうこう

?-1501 室町時代の僧。
近衛房嗣(このえ-ふさつぐ)の子。天台宗。京都聖護院門跡,近江(おうみ)(滋賀県)園城寺(おんじょうじ)長吏をつとめる。大僧正,准三宮(じゅさんぐう)。足利将軍家や後土御門(ごつちみかど)天皇のために加持をするなど,幕府朝廷と密接な関係があった。歌人としても知られる。文亀(ぶんき)元年9月23日死去一説に大永(たいえい)7年(1527)7月7日,98歳で死去とも。著作に「廻国雑記」。

道興(1) どうこう

?-? 唐(中国)の僧。
天平(てんぴょう)14年(742)鑑真(がんじん)の渡航に同行しようとしたが失敗,翌年鑑真とともに来日。のち美濃(みの)国分寺にすみ,10歳の護命(ごみょう)をおしえたという。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の道興の言及

【廻国雑記】より

…道興准后が著した紀行文。道興は,近衛房嗣の子で,聖護院門跡,新熊野検校などに任ぜられた。…

※「道興」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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