平安初期の法相(ほっそう)宗の学僧。美濃(みの)(岐阜県)各務(かがみ)郡の人。俗姓は秦(はた)氏。10歳で同国国分寺の道興(どうこう)(生没年不詳)に就学、15歳のとき奈良元興寺(がんごうじ)の万耀(まんよう)に就いて得度した。同寺の勝虞(しょうご)(732―811)に法相を学び、月の上半は吉野山で苦行し、下半は本寺で宗旨を研精したという。806年(大同1)に律師、808年に維摩会(ゆいまえ)講師、ついで少僧都(しょうそうず)に任じ、815年(弘仁6)に大僧都に進んだ。819年最澄(さいちょう)が比叡山(ひえいざん)に大乗戒壇(だいじょうかいだん)を建立しようとしたとき、彼は南都の僧綱(そうごう)を代表してその非を論じた。823年僧綱を辞して梵釈寺(ぼんしゃくじ)に退隠したが、827年(天長4)僧正(そうじょう)に復位、承和(じょうわ)元年9月11日元興寺小塔院に寂した。天長(てんちょう)六宗書の一つである『大乗法相研神章』5巻など著述は多い。
[薗田香融 2017年7月19日]
『富貴原章信著『日本唯識思想史』(1944・大雅堂)』
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(鷺森浩幸)
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…816年(弘仁7)律師に任ぜられた。最澄の大乗戒壇独立運動に反対して819年〈僧統表〉を護命(ごみよう)らとともに提出した。830年(天長7)には淳和天皇の各宗教義提出の勅を承け,日本最初の律宗綱要書《戒律伝来宗旨問答》を著した。…
※「護命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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