改訂新版 世界大百科事典 「鄭澈」の意味・わかりやすい解説
鄭澈 (ていてつ)
Chǒng Ch`ǒl
生没年:1536-93
朝鮮,李朝中期の文臣,歌人。字は季涵,号は松江。李朝政治史上の大きな特徴である党争が起こったとき,西人派の頭目としてかかわり,党勢の浮沈によって政治生活が左右されていた。官は左議政まで登ったが,ときには流配の辛酸をなめている。政治家としての足跡に劣らず,文学史上第一級の歌人として優れた作品を多く残している。歌集《松江歌辞》には5編の歌辞(関東別曲,思美人曲,続美人曲,星山別曲,将進酒辞)と84首の時調が収録されている。とくに歌辞は広く愛頌されただけでなく,その後の歌壇に大きな影響を及ぼした。朝鮮語の美を深く探り,広く詩語を開拓している。当時の儒者流の文人とは違い,彼の作品には享楽主義と逃避思想,道教的神仙世界への憧憬が詩想の主軸をなしているが,一方では忠君と酔楽が時調の主題の大半を占めている。17世紀の文人金万重も朝鮮における真の文学作品は,〈関東別曲と両美人曲〉だけだと高く評価している。
執筆者:金 思燁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報