改訂新版 世界大百科事典 「歌辞」の意味・わかりやすい解説
歌辞 (かじ)
朝鮮の伝統的な歌謡形式の一つ。歌詞kasa(朝鮮語では歌辞も同音)とも書き,長歌ともいう。郷歌における第1・第2句,6・6(3・3,3・3)を作者の好みによってほとんど無制限に延ばして歌い(句は3・4,4・4などにもなりえる),終末に至っては郷歌の第3句,3・5~9・6を添尾して完結させる歌形である。無制限に詩想を盛ることができるところから,長歌とも呼ばれた。これは《万葉集》の中の〈長歌〉の形式(5・7,5・7……5・7・7)と酷似している。今日伝わる歌辞の最古のものは,高麗末の名僧,懶翁和尚の作った〈西往歌〉であり,李朝に入ると最も古い申得満(端宗朝の歌人,15世紀半ごろ)作,〈歴代転理歌〉を皮切りに多くの作品が生み出されている。李朝の中期以後は,儒教的倫理観の制約から雑多な歌形による詩作は容認されなかったが,ただこの歌形と時調の形式だけが許され,歌人たちはこの二つのどちらかを選ばねばならなかった。歌辞作家の第一人者は鄭澈(ていてつ)(号,松江)である。5編の歌辞を残しており,彼の歌は《松江歌辞》という歌集に収められて広く愛頌されたばかりでなく,その後の歌壇に大きな影響を及ぼした。李朝の初・中期が最盛期で,壬辰の乱(文禄の役)後は中央ではしだいに衰えるが,嶺南(慶尚道)の上流家庭の女性の間で大流行した。嫁ぐ娘に与える教訓とか,春の花見などの印象をこの歌形で歌ったのが始まりで,やがて彼女らの喜怒哀楽をこの歌で自由に表現するにいたった。この女性らによる歌辞をとくに〈内房歌辞〉という。李朝後期,小説が大量に作られたが,なかにはこの歌形で記述されたものも多い。長い歌形であるために,叙事的内容を盛るのに適していたからである。一方,紀行文もよくこの歌形を用いている。多くの燕行録(使臣一行が北京へ往復する間の旅行記)や《日東壮遊記》(通信使金仁謙の日本印象記,1763)などはこの歌形で記述されていた。李朝の終りとともにこの歌形は姿を消してしまった。
執筆者:金 思 燁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報