改訂新版 世界大百科事典 「金万重」の意味・わかりやすい解説
金万重 (きんまんじゅう)
Kim Man-jung
生没年:1637-92
朝鮮,李朝の文臣,作家。字は重叔,号は西浦。父は丙子の乱(1636)のとき江華島で殉節した金益謙,母の尹(いん)氏は歴代宰相家であった尹斗寿の孫女。母は夫なきあと,2人の子(万基,万重)の教育をみずから施し,父を知らない万重は生涯母への尊敬と孝心があつかったという。官は工曹判書,大司憲にまで至ったが,党争のなかで西人派であった彼の官運は西人勢力の盛衰に左右された。47歳のとき,王(粛宗)が宮女の張氏を寵愛したのを,万重は経筵の席上でいさめたため王の怒りを買い宣川に流配された。翌年許されたが,王は張氏の生んだ子を王世子に立てると,西人たちはこれをいさめ,南人はそのすきをねらって一挙に西人側の重臣らを追放し,万重も南海に流配され,孤島で世を去った。彼は配所で王を忠諫せんとして風刺小説《謝氏南征記》を書いた。その随筆集《西浦漫筆》の中で当時の知識人が漢詩文だけに傾斜心酔しているのに対し,彼らの詩文がたとえ中国人のそれに接近していたにしても,所詮はオウムが人の声をまねるのと変りなく,きこりや田舎の女が歌う民謡より真実性が乏しい,と痛罵している。彼はまれにみる国民文学重視の文人であった。このような信条からハングルにより,儒・仏・道の思想をあわせもった《九雲夢》の大作を世に出し,しかも当時,儒教的倫理観から知識人が軟文学に接近するのを禁じていた風潮にもかかわらず,堂々と作者名を明記して発表している。
執筆者:金 思 燁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報