改訂新版 世界大百科事典 「鄭道伝」の意味・わかりやすい解説
鄭道伝 (ていどうでん)
Chǒng To-jǒn
生没年:?-1398
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
朝鮮、高麗(こうらい)末・李朝(りちょう)初めの政治家、学者。奉化(ほうか)(慶尚道)の人。号は三峰。李穡(りしょく)(1328―96)の門人で、1362年文科に及第した。趙浚(ちょうしゅん)とともに李成桂(りせいけい)(李朝の太祖)に協力し、科田法を施行して田制改革を行った。こうして李成桂政権の基盤形成に尽力し、李朝成立後は国家第一の功臣とされ、官は門下侍郎賛成事(もんかじろうさんせいじ)、判三軍府事(はんさんぐんふじ)など文武の要職を歴任した。『経済文鑑』『朝鮮経国典』を著して『経国大典』につながる李朝法体系の原型をつくり、第一次『高麗史』37巻の編纂(へんさん)も行った。李成桂の後継者争いでは李芳碩(ほうせき)を支持して李芳遠(太宗)に敗れ、国家第一の逆臣として斬首(ざんしゅ)に処せられた。文集に『三峰集』がある。
[吉田光男]
…儒教は修己治人の学である以上,朱子学も経世済民的側面(治人)と精神陶冶的側面(修己)の2面をもつ。李朝でも初期の王朝体制づくりの時期に貢献したのは前者の経世治国的朱子学である(例えば,革新官僚派鄭道伝の《朝鮮経国典》や《経済文鑑》作成における活躍)。しかし王朝体制が整備されるや,代わって体制維持に奉仕する修己=道学の朱子学が尊重されるのは自然の勢いであった。…
…同時に土地制度改革に着手し,91年に科田法を公布して旧家世族の私田を没収した。こうして92年,李成桂は趙浚(ちようしゆん)や鄭道伝らに推戴されて新王朝を開き,翌年,国号を朝鮮と定め,親明政策を外交方針とした。94年,首都を高麗王朝の本拠地開城から漢陽(漢城,現在のソウル)に移した。…
※「鄭道伝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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