野口幽香(読み)のぐちゆか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「野口幽香」の意味・わかりやすい解説

野口幽香
のぐちゆか
(1866―1950)

教育家、二葉幼稚園創始者。本名ゆか兵庫県姫路に生まれる。1890年(明治23)東京女子師範学校(第1回生)卒業後、同校附属幼稚園保母となる。その間キリスト教に受洗。1894年に華族女学校附属幼稚園設立に際し、助教授の資格で保母の仕事に専念するかたわら、1900年(明治33)東京麹町(こうじまち)に貧児を集めて森島みね(1868―1936)とともに二葉幼稚園を設立。日本における保育所最初とされる。のちいっさいの専任徳永恕(ゆき)(1887―1973)に譲る。1942年(昭和17)より香淳皇后侍講を務める。昭和25年新宿区上落合にて死去

[吉見周子]

『貝出寿美子著『野口幽香の生涯』(1974・キリスト新聞社)』『上笙一郎・山崎朋子著『光ほのかなれども』(1980・朝日新聞社/社会思想社・現代教養文庫)』『『近代日本の女性史9 学問・教育の道ひらく』(1981・集英社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「野口幽香」の解説

野口 幽香
ノグチ ユカ

明治〜昭和期の幼児教育家,保育事業家 二葉幼稚園創始者;女子学習院教授。



生年
慶応2年2月1日(1866年)

没年
昭和25(1950)年1月27日

出生地
播磨国姫路(兵庫県)

本名
野口 ゆか

学歴〔年〕
東京女高師(現・お茶の水女子大学)〔明治23年〕卒

経歴
在学中の明治21年に受洗。23年10月母校の附属幼稚園保母となり、27年華族女学校(女子学習院の前身)附属幼稚園保母・主宰、38年から華族女学校教授を務める。この間明治33年東京麴町に貧民のための二葉幼稚園を開設。39年四谷に園舎新築、大正7年二葉保育園と改称、11年母の家を付設、女子学習院教授を退職、救済事業に専心。昭和6年園長辞任。一方、二葉独立教会を設立、聖書研究に努めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野口幽香」の解説

野口幽香 のぐち-ゆか

1866-1950 明治-昭和時代の幼児教育者。
慶応2年2月1日生まれ。華族女学校(のちの女子学習院)につとめ,明治38年教授。その間の33年森島峰と日本最初の貧民のための保育所二葉幼稚園を創設,大正11年には母の家(母子寮)を付設した。昭和25年1月27日死去。83歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。女子高等師範(現お茶の水女子大)卒。本名は「ゆか」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「野口幽香」の解説

野口 幽香 (のぐち ゆか)

生年月日:1866年2月1日
明治時代-昭和時代の幼児教育家。華族女学校(のちの女子学習院)教授
1950年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の野口幽香の言及

【徳永恕】より

…1908年卒業と同時に,四谷鮫ヶ橋の二葉幼稚園(1916年に二葉保育園と改称)保母となった。園の創立者野口幽香(ゆか)(1866‐1950)から〈二葉の大黒柱〉と信頼され,以後《青鞜》派にひかれつつもみずから後衛を任じ,つぎつぎと社会事業をおこした。19年不就学児童のための小学部を設置,21年には死か堕落の岐路にあえぐ母と子を収容する〈母の家〉を創設した。…

【二葉保育園】より

…明治期に創設された代表的な保育所。野口幽香(ゆか)(1866‐1950)らクリスチャンにより,1900年東京麴町に二葉幼稚園の名で開設された。当時の幼稚園が中流以上の子どもの保育に傾いていたのに対し,貧民の子を良い境遇において教育することはおとなの義務であるとの考えに立って,3歳以上の幼児を対象に1日7~8時間の保育を行い,休日も日曜・祝祭日と年末年始に限り,これにより父母の労働を助けた。…

※「野口幽香」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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