児童福祉法(昭和22年法律第164号)に基づく児童福祉施設、および子ども・子育て支援法(平成24年法律第65号)に基づく教育・保育施設のこと。保育所における保育の内容に関する事項およびこれに関連する運営に関する事項については、『保育所保育指針』に定められている。
[宮田まり子・秋田喜代美 2024年11月18日]
保育所は、保護者が「働いている」「病気の状態にある」「介護を行っている」「妊娠中かあるいは出産後間もない」などのために、家庭での保育が十分に行えない状態にある児童を保育することを目的とする施設である。児童福祉法第7条において児童福祉施設として規定され、同法第39条において「保育を必要とする乳児・幼児を日々保護者の下から通わせて保育を行うことを目的とする施設(利用定員が20人以上であるものに限り、幼保連携型認定こども園を除く)とする」と定められている。児童の入所は無条件ではないが、定員に余裕のある場合は、私的契約児の利用は妨げないとされている。また子ども・子育て支援法では、第7条第4項において「児童福祉法第39条第1項に規定する保育所(認定こども園法第3条第1項の認定を受けたもの及び同条第10項の規定による公示がされたものを除く)」とあり、「教育・保育施設」として定義されている。
[宮田まり子・秋田喜代美 2024年11月18日]
児童福祉法第1条に、すべての児童は「適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する」とある。さらに第2条第3項では「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」とされている。保育所は同法に規定された施設であり、上記児童の福祉を保障する原理と育成の責任において制度化されている。また子ども・子育て支援法の第1条は「この法律は、我が国における急速な少子化の進行並びに家庭及び地域を取り巻く環境の変化に鑑(かんが)み、児童福祉法その他の子どもに関する法律による施策と相まって、子ども・子育て支援給付その他の子ども及び子どもを養育している者に必要な支援を行い、もって一人一人の子どもが健やかに成長することができる社会の実現に寄与することを目的とする」とあり、保育所には、近年の保育制度の課題である「量的拡充と質的改善」に対し一翼を担う施設としての期待もある。
[宮田まり子・秋田喜代美 2024年11月18日]
保育所の設置は、市町村は都道府県知事に届け出、そのほかの者は都道府県知事(指定都市・中核市市長を含む)の認可を得なければならない(児童福祉法第35条第3項、第4項)、とされる。
児童福祉施設の設備と運営については、児童福祉法第45条第1項の規定に基づいて、児童福祉施設の設備および運営に関する最低基準が厚生労働省令をもって制定されており、保育所の設備と運営も、この基準を基礎として都道府県が定めた基準に適する必要がある。この基準には、施設設備、職員の配置(保育士、調理員、嘱託医)および乳幼児1人当りの人数、保育時間の原則(1日8時間)などがある。認可施設においては、上記基準を常時遵守することが求められており、定期的な指導監督があり(児童福祉法第46条)、遵守されていない場合は改善勧告や改善命令、事業の停止(児童福祉法第46条第3項、第4項)、施設設置認可の取消し等の処分がある(児童福祉法第58条)。
[宮田まり子・秋田喜代美 2024年11月18日]
「保育士」は、1999年(平成11)4月1日にそれまでの名称であった「保母」にかわってつけられた資格名称であり、その規定は児童福祉法にある。同法では、保育士資格をもつ者が登録を受け(児童福祉法第18条の18第1項)、「保育士の名称を用いて、専門的知識及び技術をもつて、児童の保育及び児童の保護者に対する保育に関する指導を行うことを業とする者」(児童福祉法第18条の4)と定められている。保育士資格は、指定保育士養成施設を卒業するか、あるいは都道府県知事実施による保育士試験に合格するかのいずれかによって取得することができる。近年では、幼稚園教諭免許との併有化が促進され、幼稚園教諭免許取得者は修得が必要な単位の一部が免除される。また、「国家戦略特別区域法及び構造改革特別区域法の一部を改正する法律」により、国家戦略特別区域限定保育士(地域限定保育士)制度が開始され、都道府県知事が行う保育士試験とは別に、国家戦略特別区域の自治体が実施する地域限定保育士試験を受験して資格を取得することもできる。ただしこの資格には就労に関する条件があり、資格取得後3年間の就労は国家戦略特別区内限定であり、その後に全国で働くことができるものになっている。
[宮田まり子・秋田喜代美 2024年11月18日]
託児施設は、ヨハン・フリードリヒ・オーベルランJohann Friedrich Oberlin(1740―1826)が1779年にフランスで始めたものが最初であるとされている。その後は1816年にロバート・オーエンがイギリスで設立した性格形成学院などがある。いずれの施設の設立も、地域のニーズや就労する母親のニーズと関係している。
日本では、1890年(明治23)に赤沢鍾美(あかざわあつとみ)(1864―1937)、ナカ(別名、仲子。1871―1941)夫妻による「新潟静修学校」が最古の託児施設とされており、学校に通う生徒の子守を助けるため、別室において就学前の子どもたちの世話を行ったことが始まりとされている。その後1894年に東京の大日本紡績株式会社(現、ユニチカ)の工場や、1896年に福岡の三池(みいけ)炭鉱で託児施設が開設された。明治期ではおもに都市部における貧困児童への支援を目的とした二葉(ふたば)幼稚園ほかの実践があり、大正期では低所得勤労者への支援として大阪市、京都市、東京市などに公立施設が設置された。また各地で、農繁期託児所といった施設が設置されるなどしている。その後は旧生活保護法(1946)における託児事業として、そして児童福祉法の制定(1947)により保育所として、日本の法制度のもとに位置づけられている。
1960年代に入り、保育需要は高まり「ポストの数ほど保育所を」と叫ばれて保育所づくりが広がり、乳児保育や延長保育などの特別保育事業の実施を求める声も高まった。2000年代に入り、少子高齢化対策においては、保育所設置認可に関する規制緩和や新エンゼルプランの策定に際し、増加し続ける保育需要によって出現し続ける待機児童への対策がとられ、以後今日まで子ども・子育て支援法(2012)などさまざまな対策が検討され実施されている。
[宮田まり子・秋田喜代美 2024年11月18日]
保育所は、児童福祉施設の一つとして、保育ニーズに対し、特別な対策と関連施策を実施することによる対応を図ってきた。特別な対策には、0歳児からの利用を可能にした乳児保育、保護者の多様な労働時間に応える延長保育や休日保育事業、核家族化などによる子育ての孤立化を要因とする児童虐待などの予防になり得る地域子育て支援拠点事業などがある。また保育所関連の施策としては、事業主が従業員のために設置する事業所内保育所や、乳幼児や小学生の預かり援助を希望する者と援助を行うことを希望する者との連絡・調整を行う子育て援助活動支援事業(ファミリー・サポート・センター事業)などがある。
また特記すべき近年の課題は、人口集中地域での待機児童の解消である。一方で、人口減少地域では空き定員問題が生じるという不均衡な事態になっている。待機児童とは、保育を必要とし、入所の申請をしているにもかかわらず、適当な保育サービスを利用することができない乳児や幼児のことであり、1960~1970年代にあった第二次ベビーブーム時と1990年代に、とくに都市部においてその実態が問題となり今日まで続く課題となっている。厚生労働省は待機児童解消に向け、自治体が独自に支援する保育サービスを支援するなどの受け入れの強化、キャリアアップ研修やICT化の推進などによる人材確保に関する取組み、企業主導型保育事業などの新規保育事業による供給の充足等の取組みを行っている。またこれら待機児童対策も含めた「量的拡充と質的改善」のためとして、子ども・子育て関連三法の成立(2012)およびそれに基づく子ども・子育て支援新制度が2015年度(平成27)から開始されている。
[宮田まり子・秋田喜代美 2024年11月18日]
『中央法規出版編集部編『保育所運営ハンドブック』各年版(中央法規出版)』▽『全国保育団体連絡会・保育研究所編『保育白書』各年版(ちいさいなかま社)』
今日の日本では児童福祉法(1947公布)による児童福祉施設の一つで,〈日日保護者の委託を受けて,保育に欠けるその乳児又は幼児を保育することを目的とする施設〉である。このような施設の起源は必ずしも明らかではないが,ふつう,1779年フランスのアルザス・ロレーヌでプロテスタント牧師オベルランJean Fréderic Oberlin(1740-1826)が貧困家庭の子の昼間保育を始めたのが最初とされる。1837年フレーベルが幼稚園に保育施設を付設し,44年にはパリでマルボーFirmin Marbeauが女工の子どもの保育施設をつくり,イギリスではR.オーエンがニューラナークに幼児学校(インファント・スクール)を設立して以降,各地に設けられるようになった。日本の場合,江戸後期に佐藤信淵が高2万石に6ヵ所の慈育館を設けるとの構想をたてた(《垂統秘録》)が,実現にはいたらなかった。
保育施設は産業革命にともなう労働者階級の発生とともに本格的に設けられるようになる。日本でははじめ託児所と称することが多かったが,1890年新潟市に赤沢鐘美・仲子夫妻の手で設けられたのが最初とされている。日清戦争当時から,女工の工場労働を確保しなければならぬとの経営者の要請により,1894年東京紡績株式会社が東京深川に,1902年に鐘淵紡績株式会社が東京墨田に開設し,さらに日露戦争のもたらした貧困遺族のために各地に設けられるようになった。この事業は,天皇制下,赤子平等の趣旨から内務省(後には厚生省)による慈恵的救済事業に組み込まれていた。託児所には常設と臨時があり,後者には農繁期託児所(季節託児所)のような定期的な臨時託児所と不定期のものとがあった。26年の幼稚園令では,特別の事情ある場合は3歳以下の幼児を入園させることができると規定されていた。これは幼稚園は託児所を兼ねるとの意味であった。しかし幼稚園が文部省管轄であったのに対し,貧困家庭の子の救護は内務省管轄であり,その後も後者は幼稚園令の規定とは無関係に託児所として発展した。これは幼稚園への公費補助がなく,保育料が高額であったことも一因となっていた。35年の第8回全国社会事業大会では,幼稚園令とは別に託児所令(保育所令)の制定が必要であるとし,厚生省に要望が出されたが,実現にはいたらなかった。38年ごろからは保育所の名称がひろがり,第2次大戦後に引きつがれた。
戦後,保育所は児童福祉法によって公的に位置づけられ,国および地方公共団体の責任において設置されるようになった。この背景には働く母親たちの切実な要求があり,1950年代から60年代にかけて〈ポストの数ほど保育所を〉というスローガンをかかげた増設運動がすすめられた。保育所の目的は,はじめ積極的な教育よりも社会事業,乳幼児保護にあったが,戦後は保護にとどまらず,教育と福祉とを統一した活動としてとらえ,集団保育が積極的にすすめられており,70年代以降,保育一元化(保育所と幼稚園の統合)による幼児保育の充実が最重要の課題とされている。90年代末の現在,認可保育所数は2万2600だが,地方自治体等の認可を受けない〈無認可保育所〉が7600ヵ所近くあり,僻地(へきち)保育所が約1500ヵ所あることとあわせて社会問題となってきた。保育所での3歳児未満の乳幼児保育が必ずしも十分でないこと,保育時間の制限などを背景にこのような保育施設が増加したが,設備,人員が不十分であるなど問題は多い。
→保母 →幼児教育
執筆者:山住 正己
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