日本大百科全書(ニッポニカ) 「野口武彦」の意味・わかりやすい解説
野口武彦
のぐちたけひこ
(1937―2024)
文芸批評家。東京生まれ。早稲田(わせだ)大学を経て、東京大学文学部国文科卒業。同大学院国語国文学科博士課程中退。大学院在学中より小説・評論を発表。1967年(昭和42)には小説「価値ある脚」で東大五月祭賞を獲得している。評論では『三島由紀夫の世界』(1968)、『谷崎潤一郎論』(1973)などを発表し文芸批評家としての評価を得た。1969年からは神戸大学に勤務し、1971年から2年間アメリカのハーバード大学に留学。その後は、専門である江戸思想史に軸足を置きながら、近世から現代に至る文学・文化の様相を斬新(ざんしん)な視点からとらえ直す試みを続けた。
野口の魅力は、破格も辞さない自在で流麗な文体と、国学思想をドイツ・ロマン派と対応させてみるような斬新な発想にある。さらに市井(しせい)のできごとへのジャーナリスティックともいえるまなざしは、通常の史学や国文学が置き去りにするマイナーなエピソードや人物を通して、時代の情景を生き生きと描き出すことに成功している。学問的な評価ばかりでなく、読み物としての人気も高いゆえんであろう。そこには、近世から近代への移行を見据えながら、「近代文学」の範疇(はんちゅう)に収まらない「文」と「人」とのかかわりを、文化史や政治史の蓄積を踏まえつつ確認していこうとする姿勢とともに、歴史の激流のなかで右往左往する人間存在への猥雑(わいざつ)な好奇心がある。おもな作品には、『三島由紀夫と北一輝(きたいっき)』(1985)、『王道と革命の間――日本思想と孟子(もうし)問題』(1986)、政治思想の陰に隠れた軍事思想が国際情勢との関係でどのように変遷していったかを問う『江戸の兵学思想』(1991)、『荻生徂徠(おぎゅうそらい)――江戸のドン・キホーテ』(1993)、同時代資料の徹底した読み込みとクロス・チェック(相互参照)によって、赤穂浪士(あこうろうし)事件の精緻(せいち)な再現を図った『忠臣蔵――赤穂事件・史実の肉声』(1994)、幕末期の滑稽(こっけい)にして悲惨なエピソードの数々に現代を幻視した『幕末気分』(2002)などがある。
[倉数 茂]
『『三島由紀夫の世界』(1968・講談社)』▽『『洪水の後』(1969・河出書房新社)』▽『『谷崎潤一郎論』(1973・中央公論社)』▽『『三島由紀夫と北一輝』(1985・福村出版)』▽『『王道と革命の間――日本思想と孟子問題』(1986・筑摩書房)』▽『『幕末気分』(2002・講談社)』▽『『江戸の兵学思想』(中公文庫)』▽『『荻生徂徠――江戸のドン・キホーテ』(中公新書)』▽『『忠臣蔵――赤穂事件・史実の肉声』(ちくま新書)』