アレニウス(読み)あれにうす(英語表記)Svante August Arrhenius

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アレニウス」の意味・わかりやすい解説

アレニウス
あれにうす
Svante August Arrhenius
(1859―1927)

スウェーデン物理化学者。オストワルト、ファント・ホッフらに協力して「物理化学」の新領域を開拓した。2月19日、ウプサラ付近の土地管理人でウプサラ大学理事になったこともある父の二男として生まれる。17歳でウプサラ大学に入学し、やがて学位論文のテーマに物理学を選んだが、指導教官とあわず、1881年にストックホルムへ移った。そこで電解質溶液の電気伝導度の研究を行い、1884年に学位論文としてウプサラ大学に提出した。この論文で彼はすでに独特の電離説、すなわち電解質水中でイオンに解離しているとする説を展開していたが、高い評価を得られず、深く失望した。イオン解離説というような破天荒な考えは、当時「化学でもなければ物理学でもなかった」のである。その価値と重要性をいち早く評価し、世に紹介したのは、まさにそのころファント・ホッフと協力して「物理化学」という新領域を開拓しつつあった大オストワルトであった。こうしてアレニウスはオストワルト、ファント・ホッフと「イオン主義者」ionists三人組を構成し、イオン説の普及、宣伝に努めるとともに、ライプツィヒ学派の中心人物の一人として、物理化学の拡大、強化に献身することとなった。やがて1895年ストックホルム工科大学の物理学の教授に任命され、1896年から1905年まで同大学学長の任にあった。この間1903年にはその「電離説による化学の進歩への重大な貢献」に対してノーベル化学賞が授与された。彼をいち早く評価して世に紹介したオストワルトの受賞(1909)に先だつこと6年である。アレニウスのイオン解離の思想は、やがてビエルムN. J. Bjerrum(1879―1958)、デバイ、ヒュッケルらの強電解質理論へと展開していくことになる。1905年アレニウスはベルリン大学からの招きを辞退したあと、同年に新設されたノーベル研究所の物理化学部長となり、1927年10月2日の死去までこの地位にあった。

 アレニウスの名を不朽にしているもう一つの業績は、化学反応速度温度の関係についての、いわゆるアレニウスの式の提唱である。1889年の「酸によるショ糖の転化速度」の研究で、反応速度が温度とともに指数関数的に増大することを論ずるなかで、いわゆる活性化、あるいは活性化エネルギーの概念を導入したが、これは現代反応速度理論の体系化への道を開くものとなった。彼は反応速度と温度の関係を導くにあたって、ファント・ホッフが定式化した化学平衡の理論を採用した。速度過程を平衡状態の問題に連関させるこの手法は、のちにアイリングらの絶対反応速度理論へと発展していく。晩年の25年間、アレニウスの興味は地学、気象学、宇宙論、さらには免疫学から生物学にまで及び、これらの領域を、当代の物理学と化学、さらにいうならば自らの開拓した理論化学(物理化学)の諸法則により解釈しようとした。彼は、当時ようやく確立した熱力学の第一法則(エネルギー保存則)、第二法則(エントロピー増大則)と整合性を保つ宇宙論の樹立を企図し、エントロピー減少過程のある星雲の存在を考察したりした。

[中川鶴太郎]

『アレニウス著、寺田寅彦訳『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』(岩波文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アレニウス」の意味・わかりやすい解説

アレニウス
Arrhenius, Svante

[生]1859.2.19. ウプサラ近郊ウィジク
[没]1927.10.2. ストックホルム
スウェーデンの化学者,物理学者。フルネーム Svante August Arrhenius。ウプサラ大学で物理,数学,化学を修め,ストックホルム大学で電気分解について研究。希薄溶液の電導度測定と電離理論についての論文をウプサラ大学に提出し,1884年学位取得。この論文で,電解質である物質が水に溶解した際に解離して荷電イオンとなることを提案したが,当時この電離説は受け入れられず,わずかにウィルヘルム・オストワルトらに認められたにすぎなかった。その後浸透圧に関するヤコブス・ヘンリクス・ファントホフの理論と酸の親和力についてのオストワルトの理論は彼の電離説と一致することがわかり,広い支持を得るようになった。ストックホルム大学の講師(1891),物理学教授(1895),学長(1897)。1905年ベルリン大学の招きを辞退して,彼のために設立されたノーベル物理化学研究所の所長として,研究と著述活動を続けた。反応速度の研究では,大きなエネルギー (→活性化エネルギー) をもった反応しやすい「活性分子」の概念を導入して,反応速度と温度の影響を定式化(→アレニウスの式,電離説を用いたショ糖の転化速度の研究があり,そのほか毒素の研究,温室効果の研究も知られている。当時の化学者としてはまれにみる統計的感覚と定式化する能力をあわせもち,化学の問題に物理と数学を導入して仮説を立てた。オストワルト,ファントホフとともに現代の物理化学の基礎を築いた。1903年ノーベル化学賞(→ノーベル賞)受賞。

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