野村仁(読み)のむらひとし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「野村仁」の意味・わかりやすい解説

野村仁
のむらひとし
(1945―2023)

彫刻家。兵庫県生まれ。京都市立美術大学(現、京都市立芸術大学)彫刻科で辻晉堂(しんどう)(1910―1981)、堀内正和(1911―2001)に師事する。同大学院専攻科に進み、1969年(昭和44)の修了展で巨大な段ボール箱を垂直に積み重ね自重で壊れるさまを作品にした『Tardiology』を発表する。恒常的に形状をとどめる彫刻作品の概念に対し、時間の経緯とともに変化し消滅する「モニュメンタルな永続性を第一義としない彫刻は可能か?」という問いから作家活動に入り、「時間と空間」をテーマに、写真を作品表現の基本メディアとする彫刻家として独自の世界を構築する。放送局勤務のかたわら国内外での発表を続け、1982年には第5回インド・トリエンナーレニュー・デリー)に参加した。構想段階から作品が全貌(ぜんぼう)を現すまでの過程は長く、普遍的な自然の摂理がグラフィックな美しさで視覚化された、魅力にあふれた作品になるまでの構造の獲得に平均5年以上の歳月を要した。20年間勤務した放送局を退職した1988年に京都市立芸術大学助教授に就任し、2000年(平成12)に同大学院教授となる。

 人為的な造形を拒絶し宇宙を支配する普遍的秩序を記録することを表現手法とした野村は、作品『photobook又は視覚のブラウン運動』において1972年から10年間にわたり自分の目がとらえた被写体を無作為に16ミリカメラで撮影し続けた。1975年第9回パリ青年ビエンナーレにソノシート状の音による作品『発生』を出品した。ヨーロッパ各地とニューヨークを巡り帰国した野村の眼には、日本の電線越しの月が音符のように映った。以来、五線を写し込んだフィルムで月を撮影する『‘moon’ score』を続け、CDも制作する。

 1978年に赤道儀を使用した撮影で地球の自転を視覚的に体験し、1980年に魚眼レンズで『曲がった大気中の自転』の撮影を行った野村は、その曲線写真を1年分つなぎ合わせた代表作となる∞(無限記号)形状の『北緯35度の太陽』『赤道上の太陽』『北緯65度の太陽』を1982年に発表し、同一地点同時刻で太陽を1年間撮影した『午前のアナレンマ』『正午のアナレンマ』『午後のアナレンマ』を1990年に発表する。

 1980年代後半には野村の意識は「宇宙誕生の地点」にまで及ぶようになり「コスミック・センスビリティー」シリーズとして、宇宙論を模型化したガラス作品や隕石(いんせき)を生命体に見立てた作品、さらにDNA模型を使った作品を発表し、地球上の酸素発生の記憶である「ストロマトライト」(太古の藻類の堆積(たいせき)物)までを観察・記録の対象とし、作品化している。

 1993年にはソーラー・パワー・ラボ(SPL)を設立し、ソーラーカーの技術の習得に努め、1999年には太陽との対話を通じて自然の摂理と触れ合う旅となったソーラーカーによるアメリカ大陸横断「HAASプロジェクト」を敢行した。2001年の「野村仁――生命の起源:宇宙・太陽・DNA」展(水戸芸術館)では、実際に走ったソーラーカー『サンストラクチャー '99』が動く彫刻作品として走行記録フィルムとあわせて展示された。2002年豊田市美術館での個展では、宇宙ステーションを想定する『宇宙農業』で稲の栽培を試み、宇宙服まで登場させた。

[森 司]

『『Time-Space』(1994・光琳社)』『「野村仁――生命の起源:宇宙・太陽・DNA」(カタログ。2001・水戸芸術館)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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