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野村徳七 のむら とくしち

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美術人名辞典の解説

野村徳七

実業家。大阪生。幼名は信之助、号は得庵。野村財閥を確立し財界に重きをなし、また貴族院議員に勅選された。公共事業や日仏文化協会の創立にも尽力し、フランス政府より勲章を贈られる。茶を藪内透月斎に学び皆伝を受け、能楽・画技にも胆嚢であった。昭和20年(1945)歿、68才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

野村徳七 のむら-とくしち

1878-1945 明治-昭和時代前期の実業家。
明治11年8月7日生まれ。家業の両替商を証券業に転換し,日露戦争後の投機で巨利をあげる。大正8年大阪野村銀行(現大和銀行),14年野村証券を設立するなど,野村合名を中心とする野村財閥を形成した。貴族院議員。茶,能に造詣(ぞうけい)がふかかった。昭和20年1月15日死去。68歳。大阪出身。大阪商業中退。号は得庵。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

野村徳七
のむらとくしち
(1878―1945)

野村財閥の創設者。大阪の小両替商、初代野村徳七(1850―1907)の長男に生まれる。幼名は信之助。市立大阪商業学校(現大阪市立大学)の予科を中退。1904年(明治37)に野村徳七商店を父から受け継いで証券業を開始し、日露戦争後の熱狂相場で巨利を得る。1907年、2代目徳七を襲名、1917年(大正6)に株式会社野村商店に改組した。1918年には大阪野村銀行(のちの大和(だいわ)銀行、現りそな銀行)、1925年に野村証券、1933年(昭和8)に野村信託、1934年に野村生命を発足させ、1922年に設立した野村合名を司令部として、金融財閥を目ざした。他方で、ボルネオに農場とゴム精製工場、スマトラにヤシ園とコーヒー農園、ブラジルにコーヒー農園を経営し、野村東印度(インド)殖産株式会社を設立した。大正末期から総合財閥化を目ざし、山林土地、製靴、鉱業、航空機、製鋼、ゴムなどに手を広げたが、十分な展開をみないうちに敗戦を迎え、野村合名は解体された。徳七は茶人(号は得庵)と能役者としても高名で、京都の碧雲(へきうん)荘という別荘は有名である。また、京都市左京区に徳七が収集した茶の湯、能関係の美術品を一般公開している野村美術館がある。1928年から第二次世界大戦敗戦まで貴族院議員を務めた。[三島康雄]
『村上順二編『野村得庵』全3巻(1951・伝記編纂会)』

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