大和銀行(読み)だいわぎんこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大和銀行」の意味・わかりやすい解説

大和銀行
だいわぎんこう

都市銀行の旧名称。2003年(平成15)あさひ銀行分割合併し、りそな銀行、埼玉りそな銀行に再編された。1918年(大正7)に野村徳七(とくしち)らによって設立された大阪野村銀行前身。1925年証券業務を野村証券として分離、1927年(昭和2)野村銀行と改称、1944年野村信託吸収合併、1948年大和銀行に改称した。信託併営銀行で、本来の銀行業務に加えて信託業務を手がけ、とくに年金信託では業界のトップであった。1995年ニューヨーク支店においてアメリカ国債の投資にからむ巨額損失が発覚、アメリカからの撤退を余儀なくされた。1999年にサッカーくじ(正式名称はスポーツ振興投票、2001年全国販売開始)の受託金融機関となった。2001年12月、持株会社「大和銀ホールディングス」を設立、近畿大阪銀行、奈良銀行とともにその傘下に入った。2002年3月、あさひ銀行が大和銀ホールディングスに参加して大和銀行グループ経営統合。大和銀ホールディングスは同年10月に改称し、日本第4位の銀行グループ「りそなホールディングス」となった。2002年9月時点の資本金は4432億円、預金量10兆0932億円、貸出金9兆2049億円、従業員数5193人、有人店舗数181店、店舗外ATM253であった。

 2003年3月大和銀行とあさひ銀行は分割・合併し、りそな銀行、埼玉りそな銀行に再編され、大和銀行の銀行業務はりそな銀行、年金・信託部門はりそな信託銀行に継承された。しかし、同年5月、経営不振から公的資金投入による実質国営化が決定された(「りそなショック」)。

[金子邦彦]

『大和銀行80年史編纂委員会編纂『大和銀行八十年史』(1999・大和銀行)』

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百科事典マイペディア 「大和銀行」の意味・わかりやすい解説

大和銀行[株]【だいわぎんこう】

1918年野村徳七が大阪野村銀行を設立。1925年証券部を分離し,野村証券(現野村ホールディングス)を設立。1927年野村銀行に改称。1944年野村信託を吸収合併。1948年大和銀行に改称。1960年ころの信託分離に抵抗し,信託兼営を守り,唯一の信託兼営を認められた都銀であった。1993年コスモ証券を救済・子会社化し,証券業務に進出。1995年9月,ニューヨーク支店の米国債不正売買で11億ドルの赤字を出すが隠蔽し,米国金融当局の怒りを買い,米国からの追放処分を受けた。バブル崩壊にともなう国内景気悪化で不良債権の処理が遅れていたが,1999年3月政府による公的資金約4000億円を導入。経営健全化のため2000年3月までに海外銀行業務から全面撤退。地域密着型への転換を目指した。2003年3月あさひ銀行と経営統合し,りそな銀行(りそなホールディングス)と改称した。
→関連項目大阪銀行[株]近畿大阪銀行[株]近畿銀行[株]福徳銀行[株]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大和銀行」の意味・わかりやすい解説

大和銀行
だいわぎんこう

りそな銀行 (本店大阪市) と埼玉りそな銀行 (本店さいたま市) の前身の都市銀行。 1918年6月資本金 1000万円で大阪野村銀行を設立。 1925年証券部を分離して野村證券を設立。 1927年野村銀行と改称,1944年野村信託を合併して信託併営の銀行となった。 1948年大和銀行に社名変更。都市銀行,地方銀行で唯一,信託部門を兼営,住宅金融に力を入れ,1963年には不動産部門を設置。その後,関西,アジア,信託を軸に特化戦略を打ち出した。 2000年近畿銀行大阪銀行が合併してできた近畿大阪銀行を傘下に収めた。 2003年3月あさひ銀行と合併・分離して,りそなグループのりそな銀行と埼玉りそな銀行として発足した。

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