野沢喜八郎(読み)のざわきはちろう

改訂新版 世界大百科事典 「野沢喜八郎」の意味・わかりやすい解説

野沢喜八郎 (のざわきはちろう)

義太夫節三味線演奏者。喜八ともいう。(1)初世(?-1727(享保12)ころ) 竹沢権右衛門門下。傘屋を営んでいたときの名前野沢屋喜八にちなむ芸名。野沢姓の祖で,豊竹上野少掾豊竹若太夫)を弾く。(2)2世(?-1755(宝暦5)) 初世門下。豊竹座豊竹越前少掾を,1749年(寛延2)竹本座に移って竹本大和掾を弾く。番付に三味線連名を初めて掲げさせた。(3)3世 生没年不詳。2世門下で,喜吉,2世吉五郎から3世をつぐ。18世紀後半におもに京都で活躍し,大和掾を弾く。通称綾小路。(4)4世 生没年不詳。3世門下。金蔵,3世吉五郎から4世となる。通称橋下。(5)5世 5世鶴沢友次郎が一時名のる。(6)6世(?-1885(明治18)) 本名中村市三郎。4世野沢吉兵衛門下。2世勝市から1883年に襲名。通称天満。(7)7世(1847-1922・弘化4-大正11) 京都出身。5世門下。豊市,4世庄治郎から7世となる。通称門前。(8)8世(1855-1932・安政2-昭和7) 本名畑中芳之助。京都出身。3世野沢庄治郎門下。芳之助,金吾,音吉,5世庄治郎から8世を襲う。(9)9世(1885-1964・明治18-昭和39) 本名畑中新三郎。京都出身。父親の8世門下。新三郎,大之助,猿吾,猿作,大造,2世鱗糸から9世となる。
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「野沢喜八郎」の解説

野沢 喜八郎(9代目)
ノザワ キハチロウ


職業
義太夫三味線方

本名
畑中 新三郎

別名
前名=野沢 新三郎,鶴沢 大之助,豊沢 猿吾,豊沢 猿作,鶴沢 大造,鶴沢 鱗糸(2代目)

生年月日
明治18年 3月3日

出生地
京都

経歴
野沢大造(6代鶴沢友次郎)に師事。野沢新三郎、鶴沢大之助、鶴沢大造などを経て、大正6年2代目鶴沢鱗糸、昭和27年9代野沢喜八郎を襲名。

没年月日
昭和39年 2月17日 (1964年)

家族
父=野沢 喜八郎(8代目)


野沢 喜八郎(8代目)
ノザワ キハチロウ


職業
人形浄瑠璃三味線方

本名
畑中 芳之助

別名
前名=野沢 芳之助,野沢 金吾,野沢 音吉,鶴沢 庄治郎(5代目)

生年月日
安政2年

出生地
京都

経歴
3代目鶴沢庄治郎(後6代目野沢喜八郎)の門弟となるが、師の没後7代目野沢喜八郎の預かり弟子となる。野沢芳之助から金吾・音吉・5代目鶴沢庄治郎と改名を重ね、昭和5年頃8代目野沢喜八郎を襲名した。

没年月日
昭和7年 11月30日 (1932年)


野沢 喜八郎(6代目)
ノザワ キハチロウ


職業
人形浄瑠璃三味線方

本名
中村 市三郎

別名
通称=天満,前名=野沢勝市(2代目)

生年月日
?

出生地
大坂・堂島(大阪府)

経歴
野沢吉弥(後4代目野沢吉兵衛)の門弟。安政年間(1854〜60)から出座し、2代目野沢勝市から明治16年、6代目野沢喜八郎を襲名。初代豊竹呂太夫の相三味線をつとめた。

没年月日
明治18年 6月21日 (1885年)


野沢 喜八郎(7代目)
ノザワ キハチロウ


職業
人形浄瑠璃三味線方

別名
前名=鶴沢 豊市,鶴沢 庄治郎(4代目),通称=門前

生年月日
弘化4年

出生地
京都

経歴
5代目鶴沢友次郎の門人となり鶴沢豊市と名乗る。明治9年大江橋席に出演。その後14年に松嶋文楽座に移る。16年4代目鶴沢庄治郎を襲名。19年退座。28年7代目野沢喜八郎を襲名。主として京都で活躍した。

没年月日
大正11年 1月3日 (1922年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「野沢喜八郎」の意味・わかりやすい解説

野沢喜八郎
のざわきはちろう

義太夫(ぎだゆう)節の三味線。野沢派の宗家名。1952年(昭和27)に鶴沢鱗糸(つるざわりんし)が9世を継いだが、初世、2世、5世が名高い。初世(生没年未詳)は通称を間(あい)の町(まち)といい、1721年(享保6)には豊竹(とよたけ)座で竹沢権右衛門のワキを勤めている。26年、豊竹上野少掾(こうずけのしょうじょう)(後の越前少掾)の『北条時頼記(ほうじょうじらいき)』女鉢の木を弾いて、一躍名をはせた。2世(安永初年没)は通称を富小路(とみのこうじ)という。1750年(寛延3)に竹本座へ移り、竹本大和掾(やまとのじょう)を弾いて68年(明和5)まで出演した。3世は主として京都で活躍、また4世は死後の贈り名だという説がある。5世は、幕末から明治にかけての大立者であった5世鶴沢友次郎(1814―95)が1880年(明治13)から数年のあいだ名のった。

[倉田喜弘]

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20世紀日本人名事典 「野沢喜八郎」の解説

野沢 喜八郎(9代目)
ノザワ キハチロウ

大正・昭和期の義太夫節三味線方



生年
明治18(1885)年3月3日

没年
昭和39(1964)年2月17日

出生地
京都

本名
畑中 新三郎

別名
前名=野沢 新三郎,鶴沢 大之助,豊沢 猿吾,豊沢 猿作,鶴沢 大造,鶴沢 鱗糸(2代目)

経歴
野沢大造(6代鶴沢友次郎)に師事。野沢新三郎、鶴沢大之助、鶴沢大造などを経て、大正6年2代目鶴沢鱗糸、昭和27年9代野沢喜八郎を襲名。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「野沢喜八郎」の解説

野沢喜八郎(初代)

没年:享保13頃(1728)
生年:生年不詳
江戸中期の義太夫節三味線弾き。野沢派の祖。通称間の町。初代竹沢権右衛門の門弟。人形浄瑠璃豊竹座の三味線指導者。享保11(1726)年,豊竹上野少掾(のちの 越前少掾)に「北条時頼記」中「女鉢の木」で派手な弾奏をして,技巧的で派手な東風の源となった。なお彼の門弟2代目喜八郎は浄瑠璃の番付に三味線弾きの名を掲げるようにした功労者といわれている。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1』,野沢勝平事加藤善一『野沢の面影』,4代目竹本長門太夫著・木谷蓬吟校訂『浄瑠璃大系図』(音曲叢書6巻)

(鎌倉惠子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野沢喜八郎」の解説

野沢喜八郎(6代) のざわ-きはちろう

?-1885 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
義太夫節。4代野沢吉兵衛の高弟で,2代野沢勝市から明治16年6代を襲名。大阪御霊神社内の文楽座を中心に活躍した。明治18年6月21日死去。大坂出身。本名は中村市三郎。通称は天満。

野沢喜八郎(初代) のざわ-きはちろう

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
義太夫節。初代竹沢権右衛門の高弟で野沢流の始祖。豊竹越前少掾(えちぜんのしょうじょう)の相三味線をつとめた。享保(きょうほう)13年(1728)ごろ死去。通称は野沢屋喜八。

野沢喜八郎(2代) のざわ-きはちろう

?-1755 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
義太夫節。初代喜八郎の門弟。はじめ豊竹座,のち竹本座にうつる。番付に三味線方の名をはじめてかかげさせた。宝暦5年10月死去。通称は富小路。

野沢喜八郎(4代) のざわ-きはちろう

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
義太夫節。明和5年(1768)ごろおもに京都で活動した3代喜八郎の門弟。金蔵,3代吉五郎をへて4代喜八郎を襲名。通称は橋下(はしした)。

野沢喜八郎(3代) のざわ-きはちろう

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
義太夫節。2代喜八郎の門弟。2代吉五郎をへて,明和5年(1768)ごろ3代喜八郎を襲名。おもに京都で活動した。通称は綾小路。

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