鶴沢友次郎(読み)つるざわともじろう

精選版 日本国語大辞典 「鶴沢友次郎」の意味・読み・例文・類語

つるざわ‐ともじろう【鶴沢友次郎】

  1. 義太夫節三味線方。鶴沢派の宗家。五世。京都の人。通称建仁寺町。三世野沢喜八郎に入門。慶応二年(一八六六)五世友次郎襲名。幕末・明治の名人と称された。文化一二~明治二八年(一八一五‐九五

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鶴沢友次郎」の意味・わかりやすい解説

鶴沢友次郎(6世)
つるざわともじろう[ろくせい]

[生]1874. 京都
[没]1951.10.8.
義太夫節三味線方。本名山本大次郎。京都東洞院五条の出身で,父は三味線弾きの 2世鶴沢大造。最初 7世鶴沢三二の弟子となり,次いで 1886年 5世豊沢広助門下に入り,鶴沢小庄の名で御霊文楽座(→文楽座)に出勤。1893年 3世鶴沢大造,1898年 4世豊沢猿糸を襲名。1912年に由緒ある名跡,鶴沢友次郎の 6世を継ぐ。大正初期から 3世竹本津太夫相三味線となったが,1924年津太夫紋下(櫓下)になると病弱を理由に相三味線の地位を 6世野沢吉兵衛,次いで 1世鶴沢道八に譲る。1926年三味線紋下に据えられ,1927年からは再び津太夫を弾くようになり,1940年に引退するまで相三味線を務めた。派手さはないが,深い解釈によって文章をいかし,太夫を引き立てる三味線方として評価が高かった。文楽座一筋の正統な芸の伝承者として尊崇を集め,引退後も文楽座の若手や娘義太夫家など多くの後輩が指導を受けに訪れた。『文楽の鑑賞』(1944,山口広一著)などに優れた芸談を残している。(→浄瑠璃人形浄瑠璃文楽

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「鶴沢友次郎」の意味・わかりやすい解説

鶴沢友次郎 (つるざわともじろう)

義太夫節の三味線演奏者。鶴沢姓の祖。歴代名人が多い。(1)初世(?-1749(寛延2)) 前名三二。初世,2世竹本政太夫豊竹筑前少掾らを弾き,西風の三味線を確立。(2)2世(?-1804(文化1)) 前名鶴沢文蔵。生粋の竹本座の演奏家で,《本朝廿四孝》《妹背山婦女庭訓》などの初演の三味線を弾いた。(3)3世 初世鶴沢清七の後名。(4)4世(?-1862(文久2)) 前名2世伝吉。通称籠島屋。(5)5世(1815-95・文化12-明治28) 前名3世伝吉。一時5世野沢喜八郎を名のる。通称建仁寺町。(6)6世(1874-1951・明治7-昭和26) 前名4世猿糸。2世,3世竹本津太夫を弾く。通称山端(やまばな)。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「鶴沢友次郎」の解説

鶴沢 友次郎(6代目)
ツルザワ トモジロウ


職業
義太夫節三味線方(文楽)

肩書
鶴沢派家元

本名
山本 大次郎

別名
初名=小庄,前名=鶴沢 大造,鶴沢 猿糸(4代目)

生年月日
明治7年 1月7日

出生地
京都府 東洞院五条

経歴
10歳で7代目鶴沢三二の弟子となり、明治19年竹本長尾太夫を頼って大阪に出、5代目豊沢広助に入門。同年小庄を名乗る。22年竹本さの太の相三味線となり、26年亡父大造を継ぎ、31年4代目豊沢猿糸と改名。45年6代目鶴沢友次郎を襲名した。のち3代目津太夫を長く弾いた。

没年月日
昭和26年 10月8日 (1951年)

家族
父=鶴沢 大造(文楽三味線方)


鶴沢 友次郎(5代目)
ツルザワ トモジロウ


職業
義太夫節三味線方(文楽)

専門
人形浄瑠璃,三味線

別名
初名=小庄,前名=鶴沢 伝吉(3代目)

生年月日
文化12年

経歴
3代目野沢喜八郎に師事、小庄と名乗り、のち2代目伝吉(のち4代目友次郎)に学び庄次郎。弘化元年3代目伝吉を襲名、慶応2年5代目友次郎襲名。3年6月京都四条道場で紋下格となった。明治14年5代目野沢喜八郎を襲名したが、同年暮れ友次郎に復帰。

没年月日
明治28年 8月4日 (1895年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「鶴沢友次郎」の解説

鶴沢 友次郎(6代目)
ツルザワ トモジロウ

明治〜昭和期の義太夫節三味線方(文楽) 鶴沢派家元。



生年
明治7年1月7日(1874年)

没年
昭和26(1951)年10月8日

出生地
京都・東洞院五条

本名
山本 大次郎

別名
初名=小庄,前名=鶴沢 大造,鶴沢 猿糸(4代目)

経歴
10歳で7代目鶴沢三二の弟子となり、明治19年竹本長尾太夫を頼って大阪に出、5代目豊沢広助に入門。同年小庄を名のる。22年竹本さの太の相三味線となり、26年亡父大造を継ぎ、31年4代目豊沢猿糸と改名。45年6代目鶴沢友次郎を襲名した。のち3代目津太夫を長く弾いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鶴沢友次郎」の意味・わかりやすい解説

鶴沢友次郎
つるざわともじろう

義太夫(ぎだゆう)節の三味線。鶴沢派の宗家名。初世(?―1749)は前名を三二(さんじ)といった盲目の検校(けんぎょう)で、1714年(正徳4)竹本座の『相模入道千疋犬』(さがみにゅうどうせんびきいぬ)が初舞台という。20年(享保5)に友次郎と改名し、竹本播磨少掾(はりまのしょうじょう)らを弾いた。2世(?―1807)の前名は鶴沢文蔵で、三味線の地位を高めた名人。『妹背山婦女庭訓』(いもせやまおんなていきん)のほか数多くの作曲を残した。3世(1748―1826)を継いだのは、朱(しゅ)(三味線の楽譜)を発明した鶴沢清七(せいしち)である。建仁寺町(けんにんじまち)を通称とした5世(1814―95)は、全国に名をとどろかせた名人で、5世野沢喜八郎を名のったこともある。6世(1874―1951)は1940年(昭和15)に引退するまで、3世竹本津太夫の相三味線として、重厚な西風(にしふう)の三味線を弾いた。

[倉田喜弘]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「鶴沢友次郎」の解説

鶴沢友次郎(初代)

没年:寛延2.7.24(1749.9.5)
生年:生年不詳
江戸中期の義太夫節三味線弾き。初代竹沢権右衛門の門弟。鶴沢派の祖で盲目の検校。前名三二。享保5(1720)年に友次郎と改名,のちに竹本座の立三味線となり,延享4(1747)年の浄瑠璃評判記では,太夫の豊竹上野少掾(2代)を超えて最高位の極上々吉無類に位付けられた。弟子に2代目友次郎,初代寛治,大西藤蔵らがいる。なおこの名は,義太夫節三味線の最も重い名称とされ,代々その時代の浄瑠璃界の中心的存在であった。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1』,細川景正『当流浄瑠璃三味線の人人』,4代目竹本長門太夫著・木谷蓬吟校訂『浄瑠璃大系図』(音曲叢書6巻)

(鎌倉惠子)


鶴沢友次郎(5代)

没年:明治28.8.4(1895)
生年:文化11.1.14(1814.3.5)
幕末明治期の義太夫三味線の巨匠。本名清水源兵衛。京都の生まれ。8歳のとき4代目野沢喜八郎について小庄となる。5年後に大坂へ下り,2代目鶴沢伝吉(のちの4代目友次郎)の門に入って庄次郎,さらに3代目伝吉と改名。慶応2(1866)年鶴沢の宗家名である友次郎を相続した。明治13(1880)年には一時野沢の宗家名である喜八郎(5代目)をも名乗り,衰微の極にあった野沢一門を繁栄へと導く。鶴沢家特有の数多い秘曲が,その死とともに消滅したのが惜しまれる。<参考文献>松岸園主人「鶴沢友次郎略系譜」(『浄瑠璃雑誌』296号)

(倉田喜弘)


鶴沢友次郎(2代)

没年:文化4.10.3(1807.11.2)
生年:生年不詳
江戸中・後期の義太夫節三味線弾き。初代友次郎の門弟。前名初代文蔵。寛政12(1800)年に2代目を襲名した。通称児島屋。人形浄瑠璃竹本座で活躍する一方,「本朝廿四孝」「妹背山婦女庭訓」などの作曲も手がけた。質実な曲風で「きっすいの西流」といわれる。天明1(1781)年の浄瑠璃評判記で至極上々吉惣巻頭に位置づけられたが,三味線弾きが太夫より上位になったのは,彼とその師初代友次郎のみである。門弟に2代目文蔵,初代清七らがいる。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1,2』

(鎌倉惠子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴沢友次郎」の解説

鶴沢友次郎(5代) つるざわ-ともじろう

1814-1895 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
文化11年1月14日生まれ。はじめ3代野沢喜八郎の門人,のち4代鶴沢友次郎の門にはいって,慶応2年5代友次郎を襲名。一時,5代野沢喜八郎を襲名したが,友次郎にもどる。明治28年8月4日死去。82歳。京都出身。本名は清水源兵衛。初名は野沢小庄。前名は鶴沢伝吉(3代)。通称は建仁寺町。

鶴沢友次郎(6代) つるざわ-ともじろう

1874-1951 明治-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
明治7年1月7日生まれ。7代鶴沢三二の門人。明治19年大阪にでて5代豊沢広助の弟子となる。45年6代友次郎を襲名。3代竹本津太夫の三味線方をつとめた。昭和26年10月8日死去。77歳。京都出身。本名は山本大次郎。初名は鶴沢小庄。前名は鶴沢大造(3代),豊沢猿糸(4代)。

鶴沢友次郎(初代) つるざわ-ともじろう

?-1749 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
義太夫節三味線鶴沢派の祖。検校(けんぎょう)にすすむ。初代竹沢権右衛門の高弟。享保(きょうほう)5年鶴沢友次郎を名のり,のち初代竹本播磨少掾(はりまのしょうじょう)の三味線方をつとめる。寛延2年7月24日死去。前名は鶴沢三二(初代)。

鶴沢友次郎(2代) つるざわ-ともじろう

?-1807 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
初代鶴沢友次郎の門人。寛政12年2代友次郎を襲名。「本朝廿四孝」「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」などを作曲した。文化4年10月3日死去。前名は鶴沢文蔵(初代)。屋号は児島屋。

鶴沢友次郎(4代) つるざわ-ともじろう

?-1862* 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
3代鶴沢友次郎(初代鶴沢清七)の門人。天保(てんぽう)14年4代友次郎を襲名した。文久元年12月10日死去。初名は鶴沢豊吉。前名は鶴沢伝吉(2代)。通称は籠島屋豊蔵。

鶴沢友次郎(3代) つるざわ-ともじろう

鶴沢清七(つるざわ-せいしち)(初代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「鶴沢友次郎」の解説

鶴沢 友次郎(6代目) (つるざわ ともじろう)

生年月日:1874年1月7日
明治時代-昭和時代の浄瑠璃三味線方
1951年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android