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竹沢権右衛門 たけざわ・ごんえもん

朝日日本歴史人物事典の解説

竹沢権右衛門

生年:生没年不詳
江戸前・中期に活躍した上方の義太夫節三味線弾き。井上播磨掾の門弟といわれ,初代竹本義太夫相三味線を勤め義太夫節の発展に寄与した。「浄瑠璃三絃の中祖」と称される。のちに豊竹座に移って,享保8(1723)年ごろまで活躍していたらしい。義太夫節三味線方竹沢姓の祖であり,門弟からは野沢派,鶴沢派の祖が出たが,芸風や伝記はあまり明らかではない。権右衛門の名跡は大きなもので,初代以後は隠居後に名乗られることが多かった。大正期の5代まで続いたが,2代以降の系譜は不明確な点が多い。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1』,細川景正『当流浄瑠璃三味線の人人』,4代目竹本長門太夫著・木谷蓬吟校訂『浄瑠璃大系図』(音曲叢書6巻)

(鎌倉惠子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

たけざわごんえもん【竹沢権右衛門】

義太夫三味線の演奏者。(1)初世 生年不詳,没年は1720年代。竹沢姓の祖。初め尾崎姓というが,竹本義太夫竹本座開設のときから竹沢となり,相三味線を勤めた。筑後掾(義太夫)没後は豊竹座で上野少掾(豊竹若太夫)を弾いた。盲人ともいう。(2)2世 3世竹沢弥七(のち豊沢広助)の前名。(3)3世 1825年(文政8)ころ活躍。(4)4世 5世弥七が1853年(嘉永6)に襲名。(5)5世(1839‐1926∥天保10‐昭和1) 1914年,4世才治がつぐ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

竹沢権右衛門
たけざわごんえもん

生没年未詳。義太夫(ぎだゆう)節の三味線。初世。1684年(貞享1)竹本義太夫が竹本座を創設したとき、入座して義太夫を弾いたといい、義太夫三味線の始祖と仰がれている。鶴沢(つるざわ)、野沢、豊沢(とよざわ)のように、三味線弾きの姓に「沢」の一字をつけるのは、竹沢権右衛門にちなんだ命名だと伝わっている。初世豊沢広助が1803年(享和3)に2世権右衛門を名のったのちは、2世竹本津太夫の三味線を弾いた5世権右衛門(1839―1926)まで、代々名手が輩出した。[倉田喜弘]

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世界大百科事典内の竹沢権右衛門の言及

【浄瑠璃】より

…義太夫は1684年(貞享1)竹本座を道頓堀に創設,近松の《世継曾我》で好評を得る。98年(元禄11)筑後掾受領,1705年(宝永2)11月の《用明天王職人鑑》以後,竹田出雲(座本),近松門左衛門(作者),辰松八郎兵衛(人形),竹沢権右衛門(三味線)を擁し活躍した。その没後は竹本政太夫(《吉備津彦神社史料》《熊野年代記》に筑後掾悴義太夫の名があり,政太夫は2世義太夫とされてきたが3世か)が近松作品を深く語り分け,豊竹座の若太夫(豊竹若太夫,越前少掾)も紀海音の義理にからむ作風を巧みに観客の時代感覚に訴えて,西風(竹本),東風(豊竹)が競演し,浄瑠璃の近世意識が最高に発揮された。…

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