竹沢権右衛門(読み)たけざわごんえもん

改訂新版 世界大百科事典 「竹沢権右衛門」の意味・わかりやすい解説

竹沢権右衛門 (たけざわごんえもん)

義太夫三味線の演奏者。(1)初世 生年不詳,没年は1720年代。竹沢姓の祖。初め尾崎姓というが,竹本義太夫竹本座開設のときから竹沢となり,相三味線を勤めた。筑後掾(義太夫没後豊竹座で上野少掾(豊竹若太夫)を弾いた。盲人ともいう。(2)2世 3世竹沢弥七(のち豊沢広助)の前名。(3)3世 1825年(文政8)ころ活躍。(4)4世 5世弥七が1853年(嘉永6)に襲名。(5)5世(1839-1926・天保10-昭和1) 1914年,4世才治がつぐ。
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「竹沢権右衛門」の解説

竹沢 権右衛門(5代目)
タケザワ ゴンエモン


職業
浄瑠璃三味線方

本名
鶴沢 重助

別名
通称=浮世小路,前名=鶴沢 燕四,鶴沢 才治(4代目)

生年月日
天保10年 1月25日

出生地
大坂(大阪府)

経歴
嘉永2年(1849年)に初代鶴沢燕三に弟子入りし、浄瑠璃の三味線方となる。以来、美しい音色を奏でることで人気を集め、鶴沢燕四・4代目鶴沢才治を経て大正3年には5代目竹沢権右衛門を襲名。また、2代目竹本津太夫の相三味線も務め、評判となった。

没年月日
大正15年 4月13日 (1926年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「竹沢権右衛門」の解説

竹沢 権右衛門(5代目)
タケザワ ゴンエモン

明治・大正期の浄瑠璃三味線方



生年
天保10年1月25日(1839年)

没年
大正15(1926)年4月13日

出生地
大阪府

本名
鶴沢 重助

別名
通称=浮世小路,前名=鶴沢 燕四,鶴沢 才治(4代目)

経歴
嘉永2年(1849年)に初代鶴沢燕三に弟子入りし、浄瑠璃の三味線方となる。以来、美しい音色を奏でることで人気を集め、鶴沢燕四・4代目鶴沢才治を経て大正3年には5代目竹沢権右衛門を襲名。また、2代目竹本津太夫の相三味線も務め、評判となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「竹沢権右衛門」の解説

竹沢権右衛門

生年:生没年不詳
江戸前・中期に活躍した上方義太夫節三味線弾き。井上播磨掾の門弟といわれ,初代竹本義太夫の相三味線を勤め義太夫節の発展に寄与した。「浄瑠璃三絃の中祖」と称される。のちに豊竹座に移って,享保8(1723)年ごろまで活躍していたらしい。義太夫節三味線方竹沢姓の祖であり,門弟からは野沢派,鶴沢派の祖が出たが,芸風や伝記はあまり明らかではない。権右衛門の名跡は大きなもので,初代以後は隠居後に名乗られることが多かった。大正期の5代まで続いたが,2代以降の系譜は不明確な点が多い。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1』,細川景正『当流浄瑠璃三味線の人人』,4代目竹本長門太夫著・木谷蓬吟校訂『浄瑠璃大系図』(音曲叢書6巻)

(鎌倉惠子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹沢権右衛門」の意味・わかりやすい解説

竹沢権右衛門
たけざわごんえもん

生没年未詳。義太夫(ぎだゆう)節の三味線。初世。1684年(貞享1)竹本義太夫が竹本座を創設したとき、入座して義太夫を弾いたといい、義太夫三味線の始祖と仰がれている。鶴沢(つるざわ)、野沢、豊沢(とよざわ)のように、三味線弾きの姓に「沢」の一字をつけるのは、竹沢権右衛門にちなんだ命名だと伝わっている。初世豊沢広助が1803年(享和3)に2世権右衛門を名のったのちは、2世竹本津太夫の三味線を弾いた5世権右衛門(1839―1926)まで、代々名手が輩出した。

[倉田喜弘]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹沢権右衛門」の解説

竹沢権右衛門(初代) たけざわ-ごんえもん

?-? 江戸時代前期-中期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
初代竹本義太夫の相三味線をつとめ,義太夫が貞享(じょうきょう)元年(1684)竹本座を創設したとき竹沢姓を名のる。義太夫節三味線方が姓に沢の字をつけるようになった元祖とされる。のち豊竹座にうつって豊竹越前少掾(えちぜんのしょうじょう)の相三味線をつとめた。和泉(いずみ)(大阪府)出身。本姓は尾崎。

竹沢権右衛門(5代) たけざわ-ごんえもん

1839-1926 幕末-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
天保(てんぽう)10年1月25日生まれ。義太夫節。初代鶴沢燕三(えんざ)に入門,鶴沢燕四,4代鶴沢才治をへて,大正3年5代権右衛門を襲名。大正15年4月13日死去。88歳。大坂出身。本名は鶴沢重助。

竹沢権右衛門(3代) たけざわ-ごんえもん

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
初代豊沢広助(2代竹沢権右衛門)の門人。文化10年(1813)3代を襲名し,文政8年までつとめた。初名は亀吉。前名は豊沢亀吉。別名に豊沢権右衛門。

竹沢権右衛門(2代) たけざわ-ごんえもん

豊沢広助(とよざわ-ひろすけ)(初代)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹沢権右衛門」の意味・わかりやすい解説

竹沢権右衛門(1世)
たけざわごんえもん[いっせい]

義太夫節の三味線方。初め尾崎姓,1世竹本義太夫が独立して道頓堀で興行を始めたとき,三味線弾きの元祖という沢角検校の1字を取って竹沢と改姓,義太夫の三味線を弾いた。のち豊竹座へ移って豊竹上野少掾を弾き,名手といわれた。

竹沢権右衛門(2世)
たけざわごんえもん[にせい]

「豊沢広助(1世)」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の竹沢権右衛門の言及

【浄瑠璃】より

…義太夫は1684年(貞享1)竹本座を道頓堀に創設,近松の《世継曾我》で好評を得る。98年(元禄11)筑後掾受領,1705年(宝永2)11月の《用明天王職人鑑》以後,竹田出雲(座本),近松門左衛門(作者),辰松八郎兵衛(人形),竹沢権右衛門(三味線)を擁し活躍した。その没後は竹本政太夫(《吉備津彦神社史料》《熊野年代記》に筑後掾悴義太夫の名があり,政太夫は2世義太夫とされてきたが3世か)が近松作品を深く語り分け,豊竹座の若太夫(豊竹若太夫,越前少掾)も紀海音の義理にからむ作風を巧みに観客の時代感覚に訴えて,西風(竹本),東風(豊竹)が競演し,浄瑠璃の近世意識が最高に発揮された。…

※「竹沢権右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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